ROY

ヒッチャーのROYのレビュー・感想・評価

ヒッチャー(1986年製作の映画)
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乗せたら最期。《運命(行き先)》不明、死のドライブが始まる。

地獄に触れる。青春の最終章(エピローグ)

心臓急停止。アリゾナ・タイプ NEW 4WDホラー・ウェイ。今、恐怖のドライブが始まる!

Riders on the Storm / HWY

雨の日の夜中に観た

■STORY
シカゴからサンディエゴへの砂漠地帯。車両陸送の仕事をしていたジム・ハルジーは、ある嵐の夜に1人のヒッチハイカーを車に乗せる。しかし、ジョン・ライダーと名乗るその男はハンドルを握るジムの喉にナイフを突きつけ「俺を止めてみろ」と脅しだす。ジョンは恐ろしい殺人鬼だったのだ。一瞬の隙を見て、何とかジョンを車から突き落としたジムだったが、それは恐怖の始まりに過ぎなかった。何度でも執拗に襲いくる恐怖の殺人鬼ジョン・ライダー。警察や、唯一の協力者でウエイトレスのナッシュを巻き込んで事態は悪化していく。(Amazon Prime)

■NOTE I
見知らぬ男を車に乗せた事から始まる恐怖の追跡劇は、公開当時アメリカ全土に“恐怖のヒッチハイカー”というトラウマを植え付けた。シンプルなストーリーながら、「ヒッチコックの要素を昇華している」とも評される展開が異様な緊張感を持続させることに成功、と同時にド派手なアクションの連続で、観る者に恐怖と興奮を与える傑作である。

監督は、本作が第一作目となったロバート・ハーモン。J・J・エイブラムス監督は『10 クローバーフィールド・レーン』(16)製作時に本作の影響を受けていることを明かしている。撮影は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)のジョン・シールが担当。

ある日突然命を狙われ逃げ惑う青年ジム役を務めたのは、フランシス・フォード・コッポラ監督『アウトサイダー』(83)の主役に抜擢されたC・トーマス・ハウエル。あらゆる手段でどこまでもジムを追う、神出鬼没で不気味な殺人鬼ジョン・ライダーを演じるのは、『ブレードランナー』(82)で演じたレプリカント同様、冷たくも惹きつけられるキャラクターとしての魅力を倍増させているルトガー・ハウアー。クリストファー・ノーラン監督はこのハウアーの怪演を「渾身のサイコパフォーマンス」と絶賛しており、自身の作品『バットマン ビギンズ』(05)で彼を起用した。

未知なる悪と遭遇し、追い詰められゆく限界の世界で、青年は何を見出し選択するのか。追う者と追われる者が自ら投じていく究極の運命を、今ふたたび目撃する時が来た。(ニューマスター版HPより)

■NOTE II(ニューマスター版コメント)
◯シカゴからサンディエゴまでキャディラック・セヴィルを陸送していた青年は、最後にダッジ・ラムチャージャーでサイコ殺人者と対決する。高級セダンとワイルドなSUVが選ばれたのは偶然ではない。キャデラックは穏健な高級車で、快適さと安心を提供する。ダッジは、ハリウッド映画では伝統的にアウトローの乗るクルマだ。古くは『ブリット』、『バニシング・ポイント』などが知られているし、最近でも『ナイトクローラー』でジェイク・ギレンホールがダッジ・チャレンジャーで激走した。
2台のクルマは、人を疑うことを知らない無垢な青年が試練を経て大人に成長していく課程を象徴しているのだ。(鈴木真人/自動車ライター)

◯ルトガー・ハウアー演ずる殺人ヒッチハイカー、ジョン・ライダーは俺の血肉となり過ぎていて、監督作で殺人者が出る度にスタッフ&キャストへの説明で口にしている。『不能犯』の松坂桃李さんにもその超然とした存在感の参考に『ヒッチャー』を見てもらった。異界が間違って生み出した哀しき殺人装置のごときジョン・ライダーは、最凶にカッコイイ!(白石晃士/映画監督)

◯私はずっと不思議だった。どうして映画に出てくる殺人鬼たちはあんなに神出鬼没なんだろう。どうしてあんなに体力があるのだろう。まるで人じゃないみたいだ。ある深夜、テレビで流れはじめた『ヒッチャー』をぼんやり見ていて、はっとした。そうだ、あれは人じゃないんだ。あの殺人鬼たちは、避けられない運命そのものだったんだ。ルトガー・ハウアーの微笑みを見て、はじめて私はそう気がついた。『ヒッチャー』は美しい光景と美しい構造を持つ映画だ。荒涼としたハイウェイと、少年の人生を破壊しにやってくる殺人鬼。それを反復するように、少年もまた少女の人生を破壊する。ラストシーンでは、このハイウェイから本当の意味で出ることはもうないのだという絶望が、淡々と伝わってくる。そしてあの、さみしさをなつかしく呼び起こす、奇妙な浮遊感を持った音楽。殺人鬼たちの正体を教えてくれた映画として、暗黒青春映画として、『ヒッチャー』はいつまでも私のもっとも大切な映画のひとつだ。あの勇姿をまたスクリーンで拝めるなんて!感涙です!!!!!(藤野可織/小説家)

◯発明されて以来、自動車とハイウェイのその直線的な魅力は『カッコよさと恐怖』で普遍的だ。そして『人間を越えてる何者か』といったら、それは俳優ルトガー・ハウアーだ。(荒木飛呂彦/『ジョジョの奇妙な冒険』作者)

■NOTE III
Q. それぞれのキャストはどんな理由で選ばれたのですか?

基本的に3人しか出てこない映画ですから、通常よりもキャスティングの重要度が大きかったと思います。通常の場合でも、キャスティングは本当に重要ですから。ルトガー・ハウアーがこの役を演じるために生まれてきたことは、関係者の誰の目にも明らかでした。はっきりと言えるのは、今日こうして35年前の映画の話ができるのも、ルトガーがこの役を演じると決心してくれたからです。

Q. メインキャストの3人に、当時どんな印象を持たれましたか?

ルトガー・ハウアーのことは、もちろんよく知っていました。 彼のオランダ時代の映画(ほとんどがポール・バーホーベン監督の作品)のことはよく知っていましたし、ちょうど『ブレードランナー』(82)の撮影を終えたばかりでした。 そんな彼と一緒に仕事ができるというので、ワクワクしました。ナッシュを演じたジェニファー・ジェイソン・リーはご存知の通り、後に素晴らしいキャリアを積むことになるのですが、当時はキャリアの初期段階にいました。彼女のことは『初体験/リッジモント・ハイ』(82)や『グランドビューU.S.A.』(84)などの映画で知っていましたし、一緒に仕事ができるのが本当に楽しみでした。また偶然にも、彼女がバーホーベン監督の『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(85)の撮影を終えたばかりだったことも知っていました。この映画は『ヒッチャー』のキャスティングが行われていたときにはまだ公開になっていませんでしたが、ジェニファーとルトガーが知り合いで、お互いに相手を気に入っていたと聞いて、良い兆しだと思いました。C・トーマス・ハウエルも、ジェニファーと同じように、キャリアの初期段階にいました。『アウトサイダー』(83)や『若き勇者たち』(84)に出演した俳優としてよく知っていました。彼をキャスティングできて一緒に仕事をすることができたのも、信じられないほどの幸運だったと思います。

Q. 演技に関し、ハウアーさんに何か要望はありましたか?

ルトガーに、ジム・ハルジー(ハウエル)を自分の息子のように扱うよう頼みました。ルトガーはこのアイデアをとても気に入っていました。このコンセプトを念頭に置いて映画をご覧いただければ、役者の演技のいたるところにそれが反映されているのがお分かりいただけると思います。抑えた演技ですが、大変効果的な演技です。私は実のところ、この映画がこんなに長く愛されているわけは、このコンセプトを基にしたルトガーのおかげなのではないかと思っています。

Q. カーチェイスや爆発といったダイナミックなアクションから緊張感ある俳優の演技まで、様々なシーンがありますが、特に印象に残っているシーンはありますか?

ジムとナッシュを追いかける警官がショットガンを発射し、誤って自分のタイヤを撃ち抜いて起こる2台の車の横転シーンは特に大変でした。カメラを大量に配置しなければなりませんでしたし(確か9台だったと思います)、すべてのタイミングを合わせなければいけず、難しかったです! ノンアクションシーンでは、ルトガーがC・トーマス・ハウエルとカフェで向かい合って座るシーンが特に好きです。C・トーマスの目に2ペニーが置かれることになるんですが。私にとって、このシーンは本当に効果的で、2人の関係が進展する途中に入れるのにぴったりのシーンだったんです。

Q. ジョン・ライダーとジム・ハルジーの関係は独特です。ジョンに対するジムの気持ちが少しずつ変化していきます。ジョンがジムを好いているようにも見えます。2人の関係を撮影する際に、どんなことに気をつけられましたか?

特に気をつけたのは、この映画を「悪人とヒーロー」という単なるジャンル映画にはしない、ということでした。2人の登場人物が、なんらかの「死闘」で単にぶつかり合うような映画のことです。明らかにこの映画でも、前半くらいまではそうした要素がたくさんあります。ですがその後、ジョンが自分に何を求めているのかをジムが次第に理解し始めるにつれ、物語は変わり始めます。

Q. クリストファー・ノーラン監督をはじめ、『ヒッチャー』が好きという監督がたくさんいると聞きました。この作品が若手の監督や映画作品に大きな影響を与えたということについて、どう思われますか?

多くの一流監督が『ヒッチャー』を大好きな映画として挙げていると聞きました。本当ならば、とても嬉しいことです。監督仲間からの評価は、熱狂的なファンからの応援と同じくらい大きな喜びを与えてくれます。 クリストファー・ノーランや、スタンリー・キューブリック(長年助監督を務めたキャスリン・ビグローから『ヒッチャー』に対するキューブリックの思いを聞いた)もそうです。いずれも私にとって英雄のような存在ですので、もう本当に、素晴らしいというしかありません。

Q. スタンリー・キューブリック監督が『ヒッチャー』をどう思ったか気になります。

ある朝、キューブリックが自身の撮影現場で、皆に『ヒッチャー』を観るようにと言い張り、自分がこの映画をどれだけ気に入ったか話したらしいんです。この話が本当かどうか、私には知る由もないんですが、この情報の出所を疑う理由もありません。

Q. 35年ぶりの劇場公開に胸を躍らせる日本のファンへメッセージをお願いします。

日本のファンの皆さん、ぜひお会いしたかったです!私は日本に行ったことがありませんし、行ってみたいと思っています。本当なら今回の日本公開が良い口実となったはずなんですが!『ヒッチャー ニューマスター版』、楽しんでいただければと思います。そして、初公開から何年も経つこの作品に今でも興味を持っていただいて、どうもありがとうございます。

https://moviemarbie.com/news/news-637/

■NOTE IV
『ヒッチャー』は、マッチが打たれて炎が上がるという同じ音で始まり、同じ音で終わる。映画の冒頭で、この音を出すのは悪役のヒッチハイカーで、彼は大量殺人鬼である。映画の終わりには、ヒッチハイカーの特別な犠牲者となるために命を救われた主人公が鳴らす音である。

この映画は、音の使い方やその他のいくつかの方法で、殺人者と主人公が共通の体験を通して何らかの深い絆を築いたことを伝えているようだ。

被害者が加害者と同一視されることは、新しい現象ではない。近年の人質事件でも、捕虜の一部が監獄の視点を取り入れたものが少なくない。『ヒッチャー』が特に気持ち悪いのは、犯人に視点も怨念も動機さえも与えられていないことだ。

彼は、過去も歴史もなく、ただただ無惨に人を傷つけ殺す男として、意図的に表現されているのだ。彼は、この映画の若い主人公を助けながらも、彼に恐ろしい試練を与え、彼を大量殺人犯として仕立て上げ、カフカのような証拠の網にはめるのである。

映画の最後には、もちろん復讐のシーンがあり、2人は最後の戦いを繰り広げる。しかし、この対決は善と悪の戦いではなく、2人の間にサドマゾヒスティックな何かが起こっていることを映画は示唆している。

悪役の死は、主人公の復讐ではなく、悪役がずっと仕掛けてきた結末なのだ。

C・トーマス・ハウエル演じる若い主人公と年配の殺人鬼(冷めた目のルトガー・ハウアー)の間のこの不健康な絆は、唯一の主要女性キャラクターに恐ろしい運命をもたらす映画で展開される。ハウエルは、ハウアーの暴力から、誰もいない砂漠のハイウェイを逃げながら、若いウェイトレス(ジェニファー・ジェイソン・リー)と親しくなる。

彼女は彼の無実を信じ、一緒に逃亡する。

しかし、この映画は、ティーンエイジャーの恋の物語というお決まりの展開にはならない。そして、リーのキャラクターは、2台の巨大なトラックの間に手足を縛られ、2つに引き離されて死ぬのだが、この映画の本業とはあまりにも比例しないグロテスクさで、脚本段階で深い病気があることを示唆している。

このほかにも、警察犬が主人の首から滴り落ちる血を食らう場面や、ハウエルがフライドポテトの中に人間の指を見つける場面など、うんざりするような場面がある。

『ヒッチャー』はハウアーのキャラクターにほとんど超自然的な力を与えている。そのため、現実的なレベルではこの映画を受け入れることは不可能だが、私は気にならなかった。この映画がドキュメンタリーではなく、寓話として意図されていることがよく分かったからだ。

しかし、この映画は、それ自体、病的で堕落している。ハウエルとルトガーの間に描かれている本当の関係を認める勇気があれば、もっと賞賛できただろうが、そうではなく、バイオレンス・スリラーとして偽装することを好み、そのレベルでは非難されるべきものだ。

Roger Ebert, 1986-02-21, https://www.rogerebert.com/reviews/the-hitcher-1986

■NOTE V
砂漠で車を運んでいたジム・ハルジーは、執拗な連続殺人犯につきまとわれ、まさに殺人犯の濡れ衣を着せられていることに気づく。警官と殺人鬼に追われる中、孤独なトラック・ストップのウェイトレスだけが彼の無実を信じていた。そして、彼らだけがついに殺人を止めることができるのだ。

西海岸のハイウェイを舞台に、ルトガー・ハウアー(ハンニバル・レクター)の冷たい視線が印象的な、効果的な連続殺人事件スリラー。この低予算で作られたホラーとアクションのハイブリッド作品では、緊迫した雰囲気を作り出すことが重要であり、文明の利器を失ったアメリカ中部の果てしない平原は、動機のない殺人にとって理想的な温床となる。

ロバート・ハーモンはこのような空虚さを見事に利用し、逃げ場がないだけでなく、彼の映画には容赦ない悪意があり、断固として地上に留まりながらも、超自然の領域へと駆り立てていくのである。

少年は狂気のヒッチハイカーを拾い、死体の痕跡が彼らのどちらかにつながるという、厳格で効率的な脚本にもかかわらず、ハーモンは、ハウアーが神話のブギーマンであり、ニューメキシコのトラックがフロイトの悪夢の森の反転である、暗いおとぎ話のように歌うような感覚でそれを提供する:眩しいが同様に歓迎されない。ハウアーの殺人鬼の不滅ぶりは、ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』やスラッシャー映画の『ハロウィン』など、ジャンルの境界を効果的に曖昧にした2作品を思い起こさせる。

しかし、この映画が決して目的を逸脱していないこともまた、その功績である。悪役にはゴシック調の派手な台詞の波紋はなく、彼の悪は容赦ない行動で生まれ、温厚な無名のジムが(彼を止めるために)犯人自身を映し出す存在に変わることは、サバイバルという重要な響きをもっているのだ。この映画は、かなり暴力的な通過儀礼として読むことができる。スーパーヒーローものや黒幕探しの映画ではないのは、ひたすら原始的で率直なところだ。スピルバーグのホグウェイ・ホラーを彷彿とさせる、犯人はただ相手が自分を止めるに足る人物であることを待っているだけの決闘である。

アクション、暴力、ゴアによって中断される、容赦ない緊張の呆気なさ。

Ian Nathan, 2000-01-01, https://www.empireonline.com/movies/reviews/hitcher-review/

■NOTE VI
ニーチェ的な輝きを放ち、ポケットに醜いナイフを忍ばせた殺人鬼(みんな大好きオランダ人サイコ、ハウアー)が道を行く。夜明けにテキサスのさびれたハイウェイで彼を拾ったハウエルは、すぐに少年を脅してその意図を明らかにする。しかし、少年が反撃してきたとき、ヒッチャーは必要なもの、つまりまともな敵を見つけたことになり、ゲームが始まる。ハウアーは、一度に何カ所にも出没できる魔法に近い能力で、血みどろの殺戮を開始し、ハウエルは現場に現れるが、警官に捕まってしまう。犯人の力のありえなさ(少年が独房で眠っている間に警察署をまるごとバラバラにするなど)を飲み込めば、泥沼の道を突き進む良い荒行となる。主人公と悪役が互いに似てくるという、昔ながらのドッペルゲンガーのアイデアに少し翻弄され、結末はかなりあっさりとしているが、定番の追跡劇の病的恐怖版として非常に有能である。そして、フライドポテトをよく見ずに食べることはもうないだろう。(Time Out)
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