香港

霧の中の風景の香港のネタバレレビュー・内容・結末

霧の中の風景(1988年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

旅の中で子供が知っていく色んな事。労働の対価、目的地であるドイツの歴史、貧困。旅の最初は緩やかに、しかし圧倒的な説得力を有したそれは見事な画面構図とカメラの動きで、子供たちの成長を描いていく。それはとても平和的で暖かい画面。子供の成長をひしひしと感じる親の目線だ。

しかし、それは姉がレイプされるという事件から方向を変えていく。今まで大人たちの善意でどうにかなってきた旅に、突然訪れた圧倒的な悪意と暴虐。(その真っ只中のシーンで、まるで救いの手を差し伸べるように画面の左端に停車し、だけども何もせずに去っていく車の姿がインサートされるのは、本当に見事な演出だと思う。)

そのシーンの直後に姉の独白として、姉と弟の二人の旅の目的地がはっきりと乖離してしまっている事と(つまりは、父の不在を知っているか否か)、終わりの見えない旅への息苦しさが提示される。この二人に戻るべき場所がなかったわけじゃない。途中で挿入される、巨大な像の手がヘリコプターで運ばれるとても印象的なシーンが示唆するように、もといた場所、もっと言ってしまえば「あるべき場所」に戻るという選択肢はあったはずなのだ。

だけど、その選択肢は最後まで選ばれず、二人は終わりの見えない、本質的に目的地が異なってしまっている旅を続ける。もしかすると、例えば姉は性の喜びと相反する理不尽な恐怖を知った事で、弟は労働でパンを手に入れた事で、自らを大人と自負する意識が高まったのが最大の原因かもしれない。

そしてその目的地がズレた旅は、旅の中で唯一二人が共通して見つけ出そうとした対象であった、霧の中の一本の木に到達することで終わる。そしてそれを導くのが、子供を打ち抜くには十分の銃弾だなんて、なんて物悲しいんだろう。
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