映画男

女の映画男のレビュー・感想・評価

(1948年製作の映画)
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モンタージュで魅せる映画。
カット割が変態的に美しい。

セリフを少なくしてそのかわりクローズアップで互いの表情がカットバックで頻繁に映される。サイレント映画の文法って感じ。「裁かるゝジャンヌ」を思い出した。

女が動く列車から駅ホームに飛び降りて、顔から転けるショット、あれは吹き替えじゃなくて本人じゃないか? 香港映画みたいなアクションがサラッと行われている。そういえば、ここ以外にも原っぱや火事現場、道で女は何度も転ける。みかんも落とす。その度に女は立ち上がる。転倒→起立、あるいは泣く→怒る→諦める→抵抗する、といった運動の繰り返しが実は単純なようで物語を説得力あるものにしているようにおもえた。なぜおれはここまで考えるのか、それはこの映画があまりにも理不尽で、その上至極シンプルだから。つまり悪い男がいる。男は女を無理やり連れ出す。やがてこの男の好感を持てる一面がみえるわけでもなく、とにかく男は一貫して悪い。救いようのない悪党。女はそいつから逃げられない。この関係性をみせるだけで映画が成立しちゃってるのだ。なぜそんなことができる? きっとカット割だけじゃない、演出に思いもよらぬ秘密があるはず…そう考えておれはとにかく今書きながら思考を整理している。

セリフのある登場人物は男と女の二人だけ。映画はかなり閉鎖的で鬱屈とした雰囲気を充満させる。それがラストの火事現場で盛大に解放される。結局火事以外は大したシーンじゃなかった。「まあまあいい」が続くだけ。とはいえ「まあまあいい」の築き上げが憎たらしいほど良い。なぜだ。筋書きは理不尽だ。ときどき演劇っぽくてゲンナリする。それでもこの映画は終始チャーミングだ。なぜだ。この謎を解きたい。
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