あんじょーら

未来を生きる君たちへのあんじょーらのレビュー・感想・評価

未来を生きる君たちへ(2010年製作の映画)
3.5
ちょっと調べてすぐ分かったのが(邦題「未来を生きる君たちへ」というタイトルに非常に違和感があったのです)、原題は「復讐」で、断然原題の方が良いです、映画の内容をストレートに表しています。誰がこの邦題付けたんでしょうね・・・



いわゆる暴力の連鎖をいかに断ち切るのか、もしくは暴力というチカラにどのように接していくべきであるのか?ということを突き詰めようとした映画です。なかなか上手い作りであると思いますし、テーマに対しての答えをどう受け手が判断するのか?で評価がガラリと変わる可能性のある映画だと思います。個人的には初めて観るこのスサンネ・ビア監督(女性ですが、観る前には知らなかった方です)作品ですし、全く先入観無かったのですが、ものすごく女性的な映画だと感じました。




デンマークのとある学校に転校することになったクリスチャンは父親の仕事の関係でヨーロッパ各国で転校を味わってきたローティーンです。母親をガンで亡くしたことで父の生家があるデンマークにやってきます。母親が死んでしまったことに強い憤りを覚えていて、感情を閉ざしています。クリスチャンが通うことになった学校ではスウェーデン人と思われるエリアスがイジメにあっており、ひょんなことからクリスチャンとエリアスは仲良くなります。エリアスの父は遠いアフリカの地で医師として働いており、デンマークでは母親と弟と共に暮らしています。母親も医師であり、裕福ながらも、両親は別居中というアリエス、あどけなさを残すものの、やはり日々の生活に葛藤を感じています。そんな父が一時帰国することになり・・・というのが冒頭です。



素晴らしいキャスティングの作品で、少年2人の演技が光ります。特に個人的にはエリアスを演じた少年の持つ雰囲気は素晴らしく説得力がありました。たしかに彼が演じるキャラクターに合わせてキャスティングしたのでしょうけれど、上手いです。



いわゆる暴力的なコミュニケーションに対して、どのような対処をするのが望ましいのか?暴力に暴力で対抗することで得られるカタルシスや満足感に身をゆだねる後味の悪さにどのように向き合うのか?という問いかけは普遍的なものですし、単純な解決策はないのでしょうけれど、そこに『この映画の場合』という解決策が示される(といいますか映画の顛末)のですが、それを受け手である観客がどう感じるかでこの映画の評価はかなり違ってくる(個人的感想はネタバレを含むので後述)と思いました。



また、時々差し込まれる自然の風景が非常に美しいです。デンマークという国をあまり意識したことはありませんが(有名なサッカー選手数人、ラウドルップ兄弟とか、GKのシュマイケル、そしてアーセナルからは去ってしまいましたがベントナーくらいしか知りません)、湖か海岸に近い場所に家があることでの窓から見える風景は素晴らしいものがありました。



ジュブナイルものに興味のある方に、オススメ致します。




ネタバレあります、もし観賞を損なう可能性がありますので、未見の方はご遠慮下さい。











































結局、エリアスの父アントンはアフリカの地での暴力の連鎖に対して、自分の我慢の臨界点を超えたところで、自分の手は汚さないものの、ビッグマンが殺されるであろうことは充分予測できた(ビッグマンが私は丸腰なのだから止めてくれ、という哀願をしているのにも関わらず)上で見殺しにしたわけで、この部分に個人的には違和感を覚えました。診察をしている間にもコミュニケーションを取れる関係であったわけですし、治療を行うに当たって銃をキャンプ外に出し、兵士の付き添いに対してのアントンの要求をビッグマンは受け入れているにも関わらず感情に流されての行為に映りました。ルールに抵触したのではなくアントンの心情ひとつでどうにでも出来る状況に置かれることに同意したビッグマンの軽口(非常に不快で許される言動ではないにしろ)だけで見捨てる、という行為はまさに暴力的行為だと感じました。アントン自身が暴力に加担しないでいる点を考えれば余計に狡猾な印象すら感じます。


とは言いながらも、ビッグマンのこれまでの行為を考えるとむしろ当然とも言えますし、暴力(銃で脅す)でキャンプにやってきた状況でキャンプから銃を締め出すことに成功したアントンの駆け引きというコミュニケーションの上手さ、とも言えますし、自分以外の方の感想も聞いてみたくなります。


また、クリスチャンの落とし所にも違和感があります。クリスチャンが気にかけているのはエリアスの怪我の具合であって、けっして車を爆破した、という暴力行為ではないように映るからです。父親と、母親の死因に対する不信感から、感情を閉ざすわけですけれど、暴力に暴力で訴える程度の過激さが、一時的にではありますが、彼の身の安全を担保していた過去もありそうですし、だからこその処世術でもあったのではないか?という描写もありますので、判断が余計に難しくなるのに、エリアスの父アントンにわだかまりを話すことで一気に氷解してしまうのは映画的な解決過ぎると感じます。また、アントンを平手打ちする短気な自動車修理工の男に対する対処の解決策は『相手にしない』という手段でしか描かれないのです。


なので、どうにも問題の発端を放り出して、しかし感情的な、皮膚感覚的な満足でもって解決する(アントンは妻と仲直りでベッドへ、クリスチャンはアントンに不安を吐き出すことでつっかえが取れて父親とハグ)、という顛末に個人的には違和感が残りました。なるほど家族間での解決には到ったのかもしれませんが、家族外の問題は何も解決していない(短気な自動車修理工への問題、アフリカでの暴力の問題)のではないか?と思うのです。もちろん簡単に解決できないものですが、それならばこれほど大きな問題を扱うべきではなかったのではないか?と思いますし、そこにこの邦題をつけることで「教科書的」なこの解決が白々しく見えると思います。


合間合間の自然風景は綺麗に見えるのに、映画の冒頭と終わりにアフリカの子供のまさに屈託無い笑顔を挿入することで、余計に感動の押し売りになってしまっている部分も大きいと思います。子供の笑顔を出せば収まるという部分に安易さを感じます。また、エリアスの母の行動の一貫性のなさと言いますか、感情に強く左右される部分のリアルさ(学校の先生に呼び出され夫婦仲に言及されると切れ、アントンの許しを受け入れられず、クリスチャンには息子を傷付けられた直後には首に手をかけ恫喝、アントンと一緒に問題を解決したことで精神的な安息を得るとクリスチャンに対しても平穏に接する・・・)に、女性的映画だ(脚本か監督は女性ではないか?)と感じました。


と、不満な脚本ではありますが、エリアスとクリスチャンの2人の演技は素晴らしいものがありました。