未来を生きる君たちへの作品情報・感想・評価

未来を生きる君たちへ2010年製作の映画)

Hævnen/In a Better World

製作国:

上映時間:118分

ジャンル:

3.8

「未来を生きる君たちへ」に投稿された感想・評価

歳を重ねるにつれて厚みを増して、体にへばりつく「男性性」。その有害性は社会に属する人や自分自身を蝕む。
邦題とジャケ写から勝手に希望に満ちたさわやかな作品かと思ったら、かなりヘビーな作品だった!!
中盤で子供達がある物を見つけてからは嫌な予感しかしなかった。間に挟まれるアフリカの出来事も見ていてキツかった。もう何が正しいのか分からない…
クリスチャンにサイコパス気質みたいなものを感じ将来が心配…

2021-739
剛太郎

剛太郎の感想・評価

4.0
う〜〜〜〜〜ん😔なんとも 答の出ない永遠の課題…
『やられたら やり返せ』その考え方があるから戦争が無くならない
確かにそうなんだけど 赦すとか共存とか 全く頭に無い人間が居るのも事実だし
家庭内や学校でのギクシャクした人間関係も戦争も発端は何なのかいつの間にか分からなくなって 憎しみの連鎖が続いていく悲しさ 怖さ はよく伝わった

でも何かきっかけがあれば 壊れた関係を元に戻すことは無理でも 新しい信頼関係を築く事は出来るはず お互いの正しさとかではなく 弱さや苦しさを理解し会えば赦せるのかな
bestな方法は無くても より良いbetterな選択を重ねていくしかないのね〜

難民キャンプの医師アントンの強さと優しさ トラックの後を追う子供達の笑顔がとても心に残る
TSUTAYAで観ました。
親として何が教えられるか考えさせられた。
ちゅー

ちゅーの感想・評価

4.3
子供がいじめられてやられて帰ってきたらなんて周りの家庭は言うのだろうか…?
我が家は『やられたらやりかえせ』と言ってしまうだろうが…
それが果たして正解と言えるのだろうか…と考えさせられる映画。

エアリスのパパは心がでかい!
クリスチャンのパパ…もっとしっかりし
ろ!
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

4.0
「未来を生きる君たちへ」

〜最初に一言、私の2010年から19年の10年間のベストテン暫定で残り続けた作品で、デンマーク映画の最高傑作の1つ。女性監督スサンネ・ビアによる"やられたらやり返すのか論をぶつけた考えさせられる作品である。今年のアカデミー賞でトマス・ヴィンターベアの作品が見事外国語映画賞に輝き、デンマーク映画はこれで4つ目のオスカー像(バベットの晩餐会、ペレ、本作、そしてアナザーラウンド)を手にすることになった。まさに大人の世界と子供の世界を描いた理性論と暴力の狭間をじっくりと捉えた素晴らしい1本である〜

本作はスサンネ・ビア原案を自ら監督し、脚本にはアナス・トマス・イェンセン(原案の一人)が執筆した2010年のデンマーク・スウェーデンのドラマで、久々にBDにて鑑賞したが素晴らしい。これは高校卒業した2年後にレンタル屋で借りて観て以来ビア作品の中で好きな一本である。本作は当時アカデミー賞とゴールデングローブ賞で最優秀外国語映画賞をW受賞して話題になっていた。デンマーク出身のスサンネ・ビアは、今、世界が最も注目する(女性)監督の1人だと思われる。すでに過去の作品でもアカデミー賞にノミネートされており、国内での成功はもちろんのこと、国際的にも高い評価を受け、日本でも劇場公開されていた(「アフター・ウェディング」2006年の作品)。

確か彼女がハリウッドに進出した作品はハル・ベリーとベニチオ・デル・トロ主演に迎えた「悲しみが乾くまで」(2008年)だった気がする。その前にもトビー・マグワイアとジェイク・ギレンホール主演で「ある愛の風景」をリメイクした「マイ・ブラザー」でヒットをかましている。この監督は予期せぬ事態に直面した登場人物たちの感情や葛藤をリアルに描きたくことが非常にうまい。「マイ・ブラザー」でもそうである。それは彼女がユダヤ系であることと無関係ではないと思う。彼女の祖父母はまだ幼子だった彼女の父親を連れて、ナチスが台頭するドイツからデンマークに逃げると言う体験をしている。そんな家族の歴史を心に刻みこんだ彼女は、カタストロフィー(災厄)に対して強い関心を持っている。さらに、9.11以降の世界が彼女の想像力を刺激し、その関心をより現実的で具体的なものになっている事が、本作の内容から見てとれる。

そして本作の脚本を手がけたのは、「しあわせな孤独」以来。ビアとコンビを組んでいるアナス・トーマス・イェンセン。プロデューサーのシセ・グラム・ヨルゲンセンも同じく「しあわせな孤独」以降、緊密な関係を続けている。90年代初頭に監督としてのキャリアをスタートさせたビアは、デンマークとスウェーデンの両方で活動し、初期の頃にはスウェーデン語の作品が目立っていたような気もする。そんなスウェーデン映画界とのパイプは現在にも引き継がれているんだろうなと思う。本作でも、医師アントンをスウェーデンで絶大な人気を誇る俳優ミカエル・パーシュブラントが演じて平和主義者ながら暴力がはびこる地で戸惑う複雑な感情を見事に表現しているのだからあっぱれである。その他、「ある愛の風景」で、アフガニスタンに赴任し、心に大きな闇を抱えて帰国した兵士を演じたウルリッヒ・トムセンがクリスチャンの父親クラウスに扮し、また「しあわせな孤独」で、交通事故にあった主人公の恋人の看護に当たったビアテ・ニューマンが同じく看護師役で顔を見せているのも面白い。

赦しと復讐の間で揺れ動く登場人物たちがまず見所である。発展途上国が抱える紛争や貧困はもはや遠い世界の問題では無いことを百も承知である。「ある愛の風景」や「アフター・ウェディング」では、デンマークの日常とアフガニスタンの戦乱やインドのスライムが結び付けられていた。本作でも、いじめられっ子エリアスの父親で医師のアントンを通じて、彼の家族が暮らすデンマークの長閑な街と彼が働くアフリカの難民キャンプとか結び付けられている。このかけ離れた2つの国の舞台に、2つの物語が同時に語られるのは、人間の本質に何ら変わりのないことを浮き彫りにするためだと思う。片や学校でのいじめ、片やアフリカの地での部族間抗争と、全く異なる設定や人物を見せているだけで、全く同じ構図が根底に流れている。

エリアスの家族、ロンドンから転入してきた母親を亡くしたばかりのクリスチャンとのその父親。心にしこりを持つこの二組の家族が絡み合い、デンマーク語の現代が意味する"復讐"を招き寄せてしまう。それは9.11以降に特に意識されるようになったテーマでもある。だからこそ見事にアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞したと私自身は思っている。それにこれ元のタイトルよりも邦題の「未来を生きる君たちへ」の方がすごくしっくりとくる。ここ数年の西洋諸国において、復讐や報復を容認する風潮が強まっていると感じた監督が、今回はその復讐、そして赦しに焦点を当てた映画を作り出したと言える。本作では、親子と夫婦それぞれの溝が負のスパイラルを生み出していく。クリスチャンは父親と対峙するのではなく、エリアスの父親を殴った男に怒りの矛先を向ける。

エリアスの母マリアンが夫アントンの不貞を赦していれば、状況が変わっていたかもしれないが、彼女は息子エリアスを危険な目に合わせたクリスチャンにも厳しく詰め寄ってしまう。かつて妻を裏切ったアントンも決してゆるぎない信念に基づいて行動しているわけではなく、それ故キャンプで自分を見失ってしまう。しかし、だからこそアントンには、クリスチャンの心情を理解し、その命を救うことができたのだ。登場人物が有機的に繋がってこのドラマは、これまでになく張り詰め、負のスパイラルが赦しと鮮やかに反転してゆく結末には深い感動がある。赦しとの復讐、善と悪、生と死、愛と憎しみ、これら境界のギリギリの線上で揺れ動く登場人物たち。懸命にもがき、苦悩する様を監督は圧倒的な緊張感を以て描いたのだ。ビアはこれまで登場人物の顔にこだわり、顔のクローズアップを対応して、複雑な感情表現してきた。


そのスタイルが本作にも引き継がれているが、もう一つ見逃せないのが自然と言う要素だ。本作ではデンマークの街とアフリカの難民キャンプを取り巻く自然の映像が印象に残る。監督は単にドラマの背景として美しくかつ過酷な自然の風景を挿入しているわけではないと感じる。風力発電機のプロペラやアントンが子供たちと揚げる凧、渡鳥の群れ、難民キャンプではためくテント、巻き上がる砂埃など、彼女は映像で風を捉えている。境界を越えていく風は、デンマークとアフリカを結ぶだけではなく、1つの世界を示唆する。監督はそんな大きな世界から人間の営みを見つめている。だから本作はこれまでにないスケールを感じさせるんだと思う。ビア作品の魅力は、グローバルな問題を取り上げても、社会派ではなくあくまで家族の物語として描ききることにあるが、物語の軸になるのはほとんど大人の世界だった。

しかし本作では、大人の世界と子供の世界が対等に描かれ、子供の内面が掘り下げられていく。エリアスとクリスチャンは、母親の庇護から離れ、精神的に自立していく時期に差し掛かっているが、身近な手本である父親とのあいだにはわだかまりがあり、あるいは距離的に隔てられいて声が届かない。しかし、ラストにはそのわだかまりも消え、クリスチャン親子は初めて抱擁を交わす。本作は、難民キャンプに運び込まれた妊婦のクリスチャンの母親の葬儀と言う2つの死から幕が上がり、アントンらを乗せた車をアフリカの子供たちで終わる。それは、まるでこれから新しい世界を切り拓く担い手へタスキを渡したかのようだ。どんな世の中にあっても、子供たちの笑顔だけは守りたい。エリアスとクリスチャンの、無邪気に手を振るアフリカの子供たちの、その輝く笑顔に観客は希望を見、未来を託さずにはいられないように作り込まれている。さて前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


デンマークとアフリカ、子供と大人。全く異なる2つの世界に根を張る暴力。憎しみを超えたその先へ、私たちが歩み出すことができるだろうか?

さて、物語はデンマークに家を持つスウェーデン人医師のアントンは、アフリカの地に赴任し、キャンプに避難している人々の治療を行い、いつも子供たちの笑顔に歓迎されていた。様々な患者の中には、妊娠の腹を切り裂く悪党ビッグマンの犠牲者もいた。癌で亡くなった母親の葬式を終えたクリスチャンは、父クラウスとともにロンドンを離れ、デンマークの祖母の家に移り住む。エリアスは、歯の矯正によってネズミ顔と馬鹿にされいじめを受けていた。医師の母マリアンと幼い弟のモートンと暮らしているが、母親には心を開いていていない。父親のアントンが大好きなエリアスはその帰国を喜ぶが、アントンの浮気が原因で両親は別居したままである。

ある日、エリアスは転校して来たクリスチャンと机を並べることになる。放課後、エリアスはいじめっ子のソフスに絡まれるが、クリスチャンも巻き添えを食ってバスケットボールを顔面に投げつけられる。翌日、学校のトイレでエリアスにいじめの口止めをするソフスをクリスチャンは背中から殴り倒し、今後自分たちに手を出すなとナイフで脅す。ソフスの怪我が表沙汰になり、親が呼び出されて別々に尋問されるが、2人ともナイフの存在は明かさず、行為の正当性を主張する。帰りの車の中で報復はきりがないと論ずるクラウスに、クリスチャンはやり返さなきゃだめだと口答えする。学校の天井に隠していたナイフを、エリアスはクリスチャンから譲り受ける。

お互いの境遇を話し合った2人は、親密さを増し、クリスチャンはエイリアスをお気に入りの場所である埠頭の倉庫の屋上へ連れて行く。アントンが、子供たちとクリスチャンを連れて出かけた帰りに、モートンが他所の子とブランコの取り合いで喧嘩になった。割って入ったアントンだが、駆け寄ってきた相手の子の父親に理由も訊かれずに殴られる。アントンはやり返すことなく子供たちを連れてその場を離れた。再び倉庫の屋上に上がったエリアスとクリスチャンは、地上でアントンを殴った男ラースを発見し、彼の車から職場を割り出す。エリアスは仕返しを期待して、それを父親に告げるが、アントンは馬鹿を殴ったら自分もバカになる、そんなことをしたら世界はどうなる?とエリアスに語りかける。

怖がっていないことを証明するため、アントンは子供たちとラースの職場を訪れる。殴った理由を問い正すアントンに対して、ラースはスウェーデンに帰れ!と侮辱し、再び殴るが、アントンは決して手を出すことなく、屈しない姿を子供たちに見せた。帰り道、殴るしか能のない愚か者だとラースを評するアントンに、エリアスとモートンは同調するが、クリスチャンは報復しなかったアントンに納得がいかない。アントンがアフリカへ戻った後、エリアスとクリスチャンは倉庫の屋上からラースの姿を見かける。祖父の作業場で大量の火薬を発見したクリスチャンは、爆弾を作ってラースに復讐しようとエリアスに持ちかける。水辺での実験に成功した2人はもっと大きな爆弾で、ラースの車を吹き飛ばそうと計画する。

エリアスが隠し持っていたナイフを見つけたマリアンは、クラウスにそのことを伝える。クラウスは息子と話し合おうとするが、母親が死んだのはクラウスが治療を諦めたせいだと責められ、クリスチャンに溜め込んだ怒りをぶつけられる。一方アフリカでは、またもやビックマンの被害者がアントンの下へ運ばれる中、足に怪我を負ったビックマン本人がやってきた。アントンは周囲に反対されながらも、武器と部下をキャンプ外へ出すことを条件にビックマンの治療行う。ビックマンは自分がやらなくても誰かが殺すと自分のこれまでの行いに悪びれた様子もない。さらにアントンの賢明な治療の甲斐なく死亡した女性の遺体に対して、ビックマンは侮辱的な言葉を発する。それを聞いたアントンは激こうし、まだ歩けないビッグマンをこのキャンプから出て行けと突き放す。

計画日の日曜の早朝、エリアスとクリスチャンはラースの仕返しを決行する。火をつけた爆弾を車の下にセットして避難したその瞬間、ジョギング中の母娘が現れる。近づく母娘を止めようと飛び出したエリアス。その時、大きな爆音とともに火の手が上がった…とがっつり説明するとこんな感じで、子役のクリスチャンを演じたウィリアム・ユンク・ニールセンがイギリスの若手俳優のアレックス・ペティーファ(執筆者は高校生の時この俳優のビジュアルがものすごく好きでファンだった)の幼少期に似ていてマジでイケメンすぎる。今めっちゃ大人になったと思うけどかなりナイーブなハンサムになってるだろうなぁ(笑)。それからエイリアスを演じた子役のマークス・リーゴードの繊細な演技も素晴らしかった。やはり子役の芝居が上手いと映画自体の水準が高まる。

まさに子供の姿をした大人の俳優と言っていいと思う。本作の重要な登場人物であるエリアスとクリスチャンは、あるオーディションから選ばれたそうだ。エージェントが持ちかけた子供の数は120人を超えていたらしい。まずはキャスティング担当者のオーディションで12人に絞り込み、その12人を対象に監督によるさらなるオーディションが行われて、単に1人の男の子を役柄に配すのではなくて、彼ら2人がその他大勢いる男の子達、その集団の代表者として配すると言う事だったみたいだ。またビア監督は、彼らは子供の俳優ではなく、子供の姿をした大人の俳優のような気がしたと言っていた。そして、彼らと一緒に仕事を進める上でのコツは、心底誠実に接することと述べている。


この作品は見ている観客に理性的なものを考えさせられる時間を与えているような気がしてならない。サントの「エレファント」もそうだった。まずテーマは実に明快でシンプルなのだが、この映画に登場する医師の父親、アントンは登場人物の中で最も理知的な人間で振る舞っているが、子供たちに弱虫だから何もしないのではないかと問われるところは正直男としては納得がいかなかっただろう(スウェーデン映画っていうのは、例えばトマス・ヴィンターベアのミケルセン主演の「偽りなき者」もそうだったが、不意に人間に暴力を振る奴が出てくるのが多い)しかしながらそんな理性を兼ね備えている男でも、キャンプで聞かされたある一言には耐えられず、歩くこともできない一味のボスを、怒りに満ちた民衆に引き渡してしまうのだ。これがタイトルの復讐を意味しているのかもしれない。理性的な観客もこの場面を見てどう思うのか、ほとんどは〇〇するはずである。

ところがここから映画は面白くなる。何故かと言うと、アントンが一味のボスを民衆に引き渡したのは我々観客はよくやったと言う気持ちになるのだが、クリスチャンが計画する復讐に関してはおいおい、ガキのくせにこれはやり過ぎだぞ、いや大人でもこれは立派な殺人になってしまうから普通はやらない。理性にかけた判断だ。これはサイコパスもしくは心に病を持っている人間がやることだと思ってしまうのだ。この二点が非常にこの映画では対象化される。まだ子供だから未来があるのに、人を殺してしまったら元も子もなくなる。この計画はきっと成功しないことを祈るばかりだと劇中見ながら思う人も多くいたのではないだろうか。しかしながら、この映画でなされるいくつもの復讐行為は、肯定しても否定しても、根本的に同じなのではないかと感じとる人間も中にはいる。暴力でいじめてきた相手に、暴力でいじめを封じる事は正しいのか。歯には歯を、目には目を…。

この論理でまかり通さなければ、今の日本の立ち位置になってしまうのではないかと私は思う。膨張主義の中国、偽りばかりを並べ立てる韓国、北方領土を返さないロシア、そして事なかれ主義の日本…。この映画を見ていて私はこの日本の周辺を取り囲む国々達とこの映画を重ねてしまった。特に今のSNS、ネットがこの作品が制作された10年前よりもはるかに発達しており、コメント欄を見れば誹謗中傷、それに対して自殺する人も多くいる。極悪人ならば見捨てられて当然なのか。迷惑な人間なら排除しても構わないのかと言うスタンスに立っている我々一般市民。正義とはなんとも脆いものなのだろうかと思わずにはいられない映画だった。正しさと正しさがぶつかり合っているから解決しない。おそらくそれらはもろいからこそ、暴力や攻撃とたやすく結ばれる。正義が暴力に属する何かだと言う、我々が忘れがちなことを、この映画は真っ正面から突きつけて思い出させるのだ。正義は時として、善より悪により近いと作家の角田光代氏が言っていたことを思い出す。


この作品は、それらの小さな町で起こった人と人の些細な争いだけで終わらせる事はしなくて、世界各国で行われている戦争、部族紛争等をさらに別エピソードとして持ってきている。これが非常に画期的である。どうしても許すことのできない人、どう折り合いをつけて生きるのかといった身近なことから、なぜ世界中のどこかで戦争は起き続けているのかといった大きなテーマを頭の中にぶつけてきてくれている。観客はそれを映画を見ながらどこかしらで考えさせられている。そしてその2つは我々にとって、決して断絶したものではなく、どこにでも訪れる近い将来のものであることを肝に銘じなくてはならないのだ。映画の終盤は、私たちを落胆させるものではないし、不安にさせるようなものでもない。けれど、この問題に解決がないことを、われわれは静かに知る必要がある。解決は無い、だから私たちは考え続けなければならない。自分の頭と自分の言葉で、多分、生きている限りずっと考えなくてはならないのだ。

さて、原題は先程言った復讐あるいは報復と言う意味を持つデンマーク語だが、その名の通り、これはいくつかの復讐をめぐる物語から構成されている。提示されるのは2つのケースだ。1つはアフリカの難民キャンプを舞台にしたいしアントンのケース。もう一つはデンマークを舞台にした転校生クリスチャンのケースである。まずアントンは、そこで妊婦の腹を次々に切り裂くビックマンの残虐な行いを目の当たりにする。一方のクリスチャンは、転校早々にエリアスの悪質ないじめを目撃し、続いて帰国中のアントンを襲う理不尽な暴力に直面する。エリアスをいじめたソフスに仕返しを遂げたクリスチャンは、父にこう説明する。

"やり返さなかったら、みんなに殴られる。最初が大切なんだ"それに対して、父はいわゆる大人の意見でクリスチャンへの説得を行う。"殴られてやり返したらキリがない。戦争はそうやって始まる"このように映画は、やられたらやり返すのか?と言う大きなテーマを提示するが、そこにはまずクリスチャンが考える現実論と、父の理想論とのせめぎ合いがある。しかし、アントンがアフリカで遭遇するケースは、少し様相が異なっている。彼は周囲の反対を振り切って、重症を負ったビックマンの治療を施すが、そこで彼が持ち出すのは現実論でも理想論でもない。それが仕事だ。アントンは彼の地での体験を通じ、現実論が実態を深刻化させることを理解する一方、理想論ではなすすべがないことも知っている。そこで彼が示すのは医者として最善を尽くすと言う論理感だ。

実際、彼はここでの対立においてやる側でもやられる側でもなく、ただの第三者に過ぎない。だからこそやられたらやり返すのか?と言うテーマに対して、感情ではなく論理で向き合おうとする。実は、クリスチャンが街の荒れくれ者に対して復讐を試みるのも、被害者としてではなく、それを間近で目撃した第三者の立場からだ。興味深いのは、アントンもクリスチャンもすでにある力…アントンは医療の力、クリスチャンは爆弾の力を行使できる立場にいることだが、そうやってが映画は復讐をより論理の問題として扱うとする。監督のスサンネ・ビアは、これまでのフィルモグラフィーでも同様に、論理感を問う作品を多くとってきた。日本で初めて公開された彼女の作品「しあわせな孤独」では、交通事故で被害を被った男の妻、加害者の夫の間に芽生える禁断の愛を。後にハリウッドリメイクもされた「ある愛の風景」では、戦争によって夫を失った妻、夫の弟、そして変わり果てた姿で帰還した夫の三角関係を。

いずれも明確な答えを投げかけず、観客にそのモヤモヤをつきつけることで、強烈な余韻を残してきた。この映画もあなたならどう行動するか?ということを問い、観客の論理感を激しく揺さぶる。浮き彫りになるのは、復讐は何も解決しないと言う徹底した無力感だ。時折写し出される壮大な自然のイメージは映画的なスケール感を待つだけでなく、おそらくそういったなすすべのなさを見るものに強く印象付ける。あれくれものに心打たれたアントンが、川に飛び込みその流れに身を任せるのも、結局のところそんな無力感の象徴なのかもしれない。世界を前にして、それは全く何の意味も持たないのだ。これは編集ライターの門間雄介氏も言っていたのだが、この映画が批評家たちの絶賛を受け、より多くの観客の心をつかんだのは、やはり世界の"その先"を描こうとしたからだろうと述べていた事を思い出す。


本作は何よりも子供たちを描こうとする、断固とした意思で貫かれている。家族の物語でもある本作で、大人の事情に翻弄され、害を被るのは常に子供たちだ。それ故彼らは無謀な行為にも走ったりするが、終盤、大人たちが彼らを強く抱きしめることで、子供は世界に投げ出されることなく、家族の温かさの中へ帰っていく。それは「未来を生きる君たちへ」と言う邦題(あるいは英題のIn a Better World)が提起するような、希望の姿なのかもしれない。しかしビアはおそらくそういった一義的な結末を用意したかったのではないだろう。たびたび繰り返されるアフリカの子供たちの姿は、確かに一方では希望に満ちたものだが、一方ではさらに続く復讐の気配を予感させる。ビッグマンを失った組織は、きっと近いうちに、何らかの報復を仕掛けてくるはずだ。その時真っ先に被害を受ける弱者は一体誰なのか?それは子供たちである。子供たちが大地をかけるシーンがなければ、この映画はより明確で直線的なメッセージを訴えかけている作品になっていただろう。

だが、その存在によって、映画にはやはりモヤモヤした深い余韻が生まれている。結局、観客を突き付けられてまた放り出されるのだ。やられたらやり返すのか?その時に、やられるのは誰か?と言う大きな問いかけの中に…。この作品は間違いなく憎しみを超えたその先で、どんな世界を見るのかを映し出した傑作である。それにしてもこの監督今まで撮ってきた作品はどう見たって自伝的な要素がないのにもかかわらず、そういった家族の歴史において影響及ぼしたテーマに惹きつけられている感じがするのだ。じゃなければアフガニスタンでの特殊部隊の任務によって変わってしまった兄弟の関係を描いたりしないだろう(ある愛の風景)。それでも、彼女はユダヤ人であり、家族もユダヤ人なのだから、戦争は差し迫った事柄で、常に戦争の状況下に自分を置いている感じがするので、このような作品を撮る事はそこまで難しくなかったのかもしれない。

ビアの作品を見ていくと、どうしても政治的な色合いが濃いとは思えない。どちらかと言うと道徳的な見地により共鳴しているような感じがする。とはいっても、アフガニスタン舞台にしたりアフリカを舞台にしたりそういった紛争地帯を舞台にしていることから、政治的な色合いも見てとれると言えばそれまでだが、道徳的問題を取り扱ってきている事は間違いない。ある種明快な政治的問題は存在する時もあるのかもしれないが、基本的には政治体制、もしくは殺人を支持するような体制が描かれている事は無い。彼女の作品には復讐や暴力と非暴力、寛容な人間であることの困難さをテーマとして挿入している。それにしてもデンマークの作品はよくオスカーに輝くなぁ。ビア監督は、「アフター・ウェディング」で2007年度のアカデミー賞外国語映画賞に初めてノミネートされ、2度目のノミネートになった本作で念願の最優秀賞受賞している。

これまで、1988年の「バベットの晩餐会」(87年)と翌年の「ペレ」(87年)の2作品がデンマークにオスカー像をもたらしており、今回の「未来を生きる君たちへ」が3冊作目となっている。あれ、今年のアカデミー賞の最優秀外国語映画賞(確か言い方変わったんだっけ)は同じく北欧のデンマークの作品だったような気がする。トマス・ヴィンターベア監督のミケルセン主演のやつだっただろう。確かタイトルは「アナザーラウンド」だったような気がする。そうすると4つ目なのか?でも主人公はノルウェー人だし、あそこら辺の国々はよくごちゃまぜになってしまうな作品で見ると。そもそも軽くデンマークの映画事情に言及すると、この作品が公開された当時から計算すると、デンマークの過去3年間の観客動員数は大体2008年、2009年2010年と1300万人前後らしい。デンマークの人口は556万人なので、単純な算出ながら、全人口が一人当たり年間2本以上の映画を映画館で見ていることになる。

入場料金は、大人59デンマーククローネ(約915円)で、子供料金は無い。映画館数は、165館でスクリーンは400を超える。ちなみに日本は659館、スクリーン数は3412あるそうだ(今はもうちょっと増えてるのか、コロナの影響で減ったのかそこら辺を調べてないのでわからない)。ハリウッド製の映画は、世界各地で見られているが、デンマークも例外ではない。しかしながら、観客が国産の映画を好む傾向があり、自国の映画がマーケット全体の25%のシェアを占めているそうだ。どうやらデンマークは公的機関の支援があるようで、先ほども述べた通り、国産映画の人気を博すデンマークだが、自国の映画を保護するいわゆるスクリーンクオータ制などの政策を実施されていない。公的機関として、デニッシュ・フィルム・インスティテュートがあり、映画芸術の振興に寄与している。

DFIが行っている政策支援には主に3種類の経済援助があると言う。まず芸術的作品に対する政策支援。そしてより多くの観客に作品をアピールするための宣伝支援。最後に新しい才能を発掘するための支援だ。また、実験映画、(映画の)国際共同制作、テレビゲーム、テレビ番組にも支援が用意されているとのことだ。その対象となるのは、年間25本の長編映画と25本のドキュメンタリーに定められている。国内の映画賞と米アカデミー賞についても述べていこう。デンマークの有名な映画賞として2種類が挙げられている。その中の審査員はデンマークアカデミーの会員のため、デンマークアカデミー賞と国外では位置づけられている。記者や映画評論家から構成されているので、アメリカに例えるとゴールデングローブ賞といったところだろう。「未来を生きる君たちへ」は主要7部門を受賞しており、それぞれ主演女優賞受賞をしていた。

一方、米アカデミー賞外国語映画賞には、世界66カ国の外国映画がエントリーされ、そのデンマーク代表に決まったのが本作だった。そして見事に66本の頂点に立ったのだ。では、なぜ本作がデンマーク代表に選出されたのだろうか。国内の有名な2種類の賞も国内の映画賞であり、本作ももちろんのことだが、他にも多くの素晴らしい競合先があった。これらの賞と米国のアカデミー賞代表作品が連動しているとは限らないし、単純に比較もできない。アカデミー賞への代表作の選考には、DFIが指名した8人の選定委員(興行、批評価、プロデューサー、撮影監督、監督、DFIの代表など)が関わっており、2種類の賞は幅広い映画人、批評家によって決定されているとDFIは述べている。

本作は、本年度のアカデミー賞のみならず、ゴールデングローブ賞ともども最優秀外国語映画賞受賞したわけだが、DFIは、この快挙をどう捉えていて、また特別な支援協力はあったか、と言う質問に対して、映画そのものに力があったので受賞につながったのは言及するまでもないが、本作がアカデミー賞代表作品選ばれた事により、DFIからプロデューサーに対して相当額の金銭的な援助が与えられた。その費用でキャンペーンが展開された事実もあるそうだ。結果、最優秀賞受賞した事は、デンマーク映画に世界各国が注目し、多くの人々の興味が強まっている証でもあると回答を寄せていた。活動の場を世界に広げるデンマーク出身の監督たちにも言及したい。スサンネ・ビアも賛同したドグマ95。現在のデンマーク映画を語るには、このテーマは必至だろう。

1995年にデンマーク人であるラース・フォン・トリアー監督が中心となって提唱した映画撮影手法である事は誰もが知っている映画運動である。ビアの「しあわせな孤独」トリアー「イディオッツ」トマス・ヴィンターベア「セレブレーション」ロネ・シェルフィグ「幸せになるためのイタリア語講座」ソーレン・クラーク=ヤコブセン「ミフネ」などが挙げられ、それぞれ日本でも公開されていると思う。そして、ドグマ映画は北欧のみならず、アメリカやアジアにも拡大した(後に解散してしまっているが)。現在、デンマーク映画界を代表する監督と言って異論がないであろうトリアーはじめ、ロケ地や俳優起用を自国の枠にとらわれず、活躍する監督も少なくない。本作のビア監督も前作「悲しみが乾くまで」でハリウッド進出を果たし、次回作はイタリアを舞台にピアース・ブロスナンの出演が決定している。

同じくオスカーを受賞した「ペレ」のビレ・アウグストは、その後「愛の風景」で2度目のパルムドールに輝き、リーアム・ニーソンやジェフリー・ラッシュ、ユマ・サーマンを配した「レ・ミゼラブル」7マンデラの名もなき看守」を発表。シェルフィグは「17歳の肖像」を監督した。また「プッシャー」シリーズのニコラス・ウィンディング・レフンはライアン・ゴズリング、キャリー・マリガン主演の「ドライブ」と言う大傑作を世に送り出した。話を本作に戻すと、アフリカのキャンプ撮影のところで、現地に赴任しているかも定かではないというかほとんど明確に表されていないのが少し引っかかった。例えば、劇中、医師であるアントンが働くアフリカのとある紛争地帯で、どこの国のどこの地域かと言う実在の場所を特定してはいない。また、アントンがどのような立場で、どのような機関や団体に属し、現地に赴任しているかもわからない。

でも映画を見る限り少なくとも監督は、リアリティを持たせるため、NGOなどの団体や医療従事者にコンタクトを取り、リサーチを行っていると思われる。実際のロケ地はケニアらしい。本作は冒頭のロケ地があるケニアの映像と何かこの後不吉な事が起こる前兆のような音楽が非常に印象的である。そして、原題で復讐であるHævnenのタイトルが浮き上がってくるのだ。そしてあまりにも無残な状態で担架で運ばれていく女性たちの痛々しい姿に目を背けたくなる中、治療が行われていく。このファースト・シーンのケニアの大地の原風景は非常に美しい。てか、ヨハン・セデルクヴィストが手がけている劇中のサウンドトラック(スコア)が非常に映像に合っていてすばらしい。サントラ欲しい位だ。そして5分が過ぎた後、クリスチャンの声が流れ、6分後に彼のナイチンゲールについての詩が教会で朗読されるカットへと変わる。

そして転校してきたクリスチャンが、早速エリアスがいじめられているところを見るのだが、このスウェーデン人目と言うセリフが子供から侮蔑的に言われるのだが、やはりスウェーデン人と言うのは差別されやすいんだなぁとわかる場面だ。「ペレ」も確かそうだったと思う(もしかしたら逆かもしれないけど)。そして不意をつかれボールがクリスチャンの顔面に直撃して流血の惨事となる。まぁ、このクリスチャンが小生意気な感じがまたいいんだよ。さっきも言ったけどアレックス・ペティーファの幼少期の小生意気な感じとそっくりだわ。このクリスチャン役の子役の復讐心溢れる目つきと表情が本当に印象的である。また凄い子役をよく見つけてきたものだ。マセガキ感が半端ない。

そしてソフスと言う悪ガキが悪いのにもかかわらず、いじめられている側が転校しろと教員が親御さんに教室で言って、母親がブチ切れるシーンはなんとも圧倒的な説得力があった。親の私生活にまで土足で入り込むのは世界共通なんだなと。しかしながらその後にトイレですごい事件が起こる。このいじめっ子に同情してしまうほど自転車の空気入れで繰り返しぶん殴るクリスチャンはサイコパスと言っても過言ではない(笑)。その後3人が和解するのに、そのいじめっ子がクリスチャンたちに一緒に行かないかと言うのに、クリスチャンが嫌だと答えるところとか冷血だわ…。それから旦那が浮気したと言うことで別居中の夫婦がクロスカットしながらクローズアップで携帯電話越しに会話されるショットは印象的である。

んで、公園で子供同士が喧嘩しているのを突き離そうとしていたアントンが男にぶたれる場面も強烈で、その後に子供たちが職場を見つけて、皆んなでそこに乗り込んでさらに繰り返しぶたれるシーンは胸糞が悪い。また、エリアスが母親にナイフをしまっているのを見つかって、怒られる場面で自然と涙目になるところと、クリスチャンが父親にナイフを学校になぜ持っていったんだと咎められ、母親を諦めたせいで死んだことについて反抗する彼が目に涙を浮かべる場面もすごい印象的だ。そんで巨大な爆弾を車の下に仕掛けて爆発しようとしたときに、エリアスが巻き込まれるのだが、病院に運ばれた時に母親が泣き喚く場面のトリーヌ・ディルホムの演技は凄まじいの一言。圧倒的だった。そんでエリアスの母親とクリスチャンが対面して、母親の怒りが爆発する場面も感情的になっておりすごく揺さぶられる。


カットの間にロングショットで捉えられるデンマークの美しい風景がスチルとして完成されている。あのアフリカの子供たちが駆け回り、手を振って静かにフェードアウトしていき、そしてもう一度復讐と言うタイトルが現れ、森林の固定ショットが写し出される終わり方は本当に美しい。あのJohan SöderqvistのIn a Better World (Long)がエンディングロールで流れるのは本当に心地が良いというか、素晴らしい映画を見たなと席を外せる。最後にデンマークの豆知識として、日本は6000以上の島があるが、デンマークはユトランド半島とシェラン島、フュン島を始めとする400以上の島々からなっている。確か面積は九州の面積とほぼ同じだったような気がする。この作品をまだ見てない方をお勧めする。
matsu

matsuの感想・評価

4.0
いや〜テーマが重い!!深い!!シリアスだが心に残る映画になりそう

邦題が詐欺すぎる、原題の「復讐」そのまんまでしょ。この映画。

暴力的に強い者が弱い者を支配する・屈服させること…やられたらやり返すことは果たして正しいのか?など、いろいろ考えさせられた

アフリカ難民キャンプでビッグマンを治療した後に本当にこいつら(ビッグマンのグループ)は鬼畜だと思った

さすがにキャンプ民たちのビッグマンに対する行動は絶対的に許されると思う
上旬

上旬の感想・評価

2.9
【第83回アカデミー賞 外国語映画賞受賞】
スサンネ・ビアはやっぱり苦手。上手いのは分かるけどキレイにまとめすぎる。あとグラグラやたらと揺れるカメラワークも好みじゃない。

途中まではすごくいいだけに尻すぼみ。あんな大惨事起こしといてあれでいいの?と思う。なによりあの車の持ち主が怒鳴り込んでくるくらいの展開はあると思ったらそれもない。

「許し」がテーマなのは分かるがアフリカパートも浅い気がする。なんとなく「深い話」っぽくしちゃう感じが鼻につくんだよな〜
Mmmm

Mmmmの感想・評価

4.3

このレビューはネタバレを含みます

めちゃめちゃ考えさせられた
他者から向けられる理不尽への対抗策について
妊婦のお腹を裂くのは理不尽どころの話じゃないけども

復讐、説得、許し
色んなアクションが起こったけど、
結局正解なんてわかるはずない
そのアクションがもたらす事態は予想もつかない

ただ良かったと思うのは
エリアスのパパママがクリスチャンを許し、クリスチャンもきっと今までより幸せに生きられそうな希望がみえるラストだったこと

しかしミカエルパーシュブラントほんとセクシーだよね顔が…
T43

T43の感想・評価

4.5
この子達はきっと大丈夫!
親に愛されていない子供なんていないと信じたい、と思える作品だった。
許すって難しい。
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