うえびん

陸軍士官学校のうえびんのレビュー・感想・評価

陸軍士官学校(1927年製作の映画)
3.5
侍の系譜

1937(昭和12)年 日本作品

今から85年前、大日本帝国の陸軍の幹部候補生を養成する教育機関「陸軍士官学校」での約4ヵ月に渡る厳しい訓練生活を描いたドキュメンタリー映画。

僕自身は、ここに登場する若き士官候補生たちと同じ青春時代を約60年くらい後に、同じ日本という国で過ごしたことになる。あまりに大きな社会情勢や環境の変化に目がくらむ。

若い頃から戦争には絶対反対だったけれど、年を経て反対だけしていても仕方が無いとあれこれ考えるようになった。教科書で習った歴史だと、大東亜戦争は日本軍部の暴走の結果だと思わされてきたけれど、それだけではないはずだと今は思う。

戦争が国家間のケンカだとすると、個人のケンカはどうだろう。相手が暴力をふるってきたら、自分も対抗せざるを得ない。当時の日本やタイなどの枢軸国とアメリカを中心とした連合国、どちらが先に戦いを仕掛けたのかは両論あるので何とも言えないが、日本には「喧嘩両成敗」という言葉があるように、ケンカ(戦争)をした結果(東京裁判)については、あまりにも戦勝国側の一方的に過ぎると思う。

第二次世界大戦後に国際平和のための「国際連合」という機関ができたけれど、その中心である常任理事国(中国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカ)は、戦後も繰り返し他国で戦争をしかけたり、自国民を武力で抑圧したりしている。

アメリカでは、アフガン侵攻や「アラブの春」をけしかけたりしたオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞し、在任中に新たな戦争を仕掛けなかったトランプ大統領は暴君と呼ばれている。正義と悪をクリアにカットし、敵陣に負のイメージを糊塗する大手メディアのイメージ戦略に簡単に乗っかっては危険だと思う。

人と人の争い、国と国の争い、同国人の考え方の違う人と人の争い。兎角、人類からケンカや戦争を無くすことは難しいのだと思う。

だから、自分で歴史や人間という生き物の特性を学んで、自分の頭で考えなければいけないと、つくづく思う。

繰り返しになるけれど、戦争は嫌だ。できることなら死ぬまで戦争は起こらないでほしい。死んだ後、子どもたちの時代にも起こらないでほしい。だけど、ただ願っていても仕方がない。

この作品に映る若き士官候補生たちも、同じ思いであったろう。それでも時代と社会が仕掛けてきた戦争(ケンカ)には抗えない。現在でも、ウクライナやロシアやミャンマーやアフガニスタンで戦わざるを得ない人たちは同じ思いで、やりたくないケンカ(戦争)をしているんじゃないだろうか。

天照大神に祈りを捧げたり、国のために命を賭けたり、大元帥陛下に忠誠を尽くしたりすることは、今の時代には合わないと思う。だけど、「陸軍士官学校」での教育や思想の刷り込みの総てが歪んで間違っていたとも思えない。ケンカはやられたらやられっぱなしという訳にはいかない。やられないように、身体を鍛える、護身の術を身に着ける、騙されない惑わされない頭をつくる、礼儀作法を身につける、日本人としての誇りをもつ、仁・義・礼・智・信、武士道…。

敗戦を境に、現在の教育では大方が失われてしまった大切なことは、WBCの舞台で侍ジャパンの選手たちに、野球というスポーツを通じて継承されているようにも思う。
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