想像すること
2024年 イギリス/ポーランド他作品
先日観た『パリタクシー』で、92歳のマドレーヌおばあさんは、人生には想像力が必要だと言いました。
本作は、鑑賞する者の想像力を試されるような作品でした。
主人公は、アウシュビッツ収容所長のルドルフ・ヘス。収容所のすぐ近くの豪邸で家族と共に暮らしています。
一つ壁を隔てた別世界。花々は咲き乱れ、人々は泣き叫ぶ。楽園と地獄。ヘスは、植物は傷つけないよう、人は効率よく殺すよう命じます。圧倒的な世界と思想の落差にめまいがしました。
彼の仕事を想像すると、冷酷無比のイメージが湧いてきます。本作には、具体的にそのような描写は一切描かれません。描かれるのは、妻や子、家族を想う一人の男の姿です。
「行ってらっしゃい、パパ」と、夫を送り出す妻の姿からも、収容所で行われているであろう非道のイメージは一切湧いてきません。
この夫婦には、収容所に囚われている人たちにも、自分たちと同じように家族がいること、同じような日常を暮らしていたことに対する想像力が決定的に欠けているようでした。
ダッハウ収容所を見学したことがあります。それまで、ナチスのユダヤ人に対する迫害・虐殺については、『アンネの日記』や『夜と霧』を通じて、被害者の声に触れたことがありました。実際に収容所の寄宿舎やガス室を見て、痛烈に恐怖心が湧いてきました。それは、自分が被害者になる想像ではなく、加害者になる可能性に対する恐怖でした。
本作で描かれるヘスには、あまり感情の起伏が感じられませんでしたが、それでもあれだけ多くの人に行った蛮行に、加害者としての恐怖心は強く感じざるを得なかったんじゃないかと、その心中を想像させられました。
ルドルフ・ヘスとは、どんな人だったのか。さらに想像を広げてみます。
『教科書には書けないグローバリストの近現代史』(渡辺惣樹/茂木誠)
▶
渡辺)第二次世界大戦を見るうえで、もう一つ重要なのは、ヒトラーは1939年9月のポーランド侵攻後、大きな陸上戦をしかけていません。いわゆるフォーニ―ウォー(みせかけの戦争)と呼ばれるもので、これは「戦争はやめよう」という英仏に対するヒトラーの意思表示です。
また1940年5月から6月にかけて連合軍が行ったダンケルク撤退作戦は、一般にチャーチルの成果のように言われます。しかしあの時、ヒトラーが一時攻撃中止命令を出していたことは間違いありません。
あれこそがヒトラーの「戦うべき相手はスターリンなんだ」というメッセージです。さらに1941年5月には、ナチス副総統ルドルフ・ヘスの決死行により、英国王ジョージ6世との謁見を試みています。
ヘスはハミルトン公爵を通じてジョージ6世に休戦を申し出ようと、真夜中のスコットランド上空からパラシュートで降下します。降下の際にヘスは捻挫し、病院でハミルトン公との面談にこぎつけますが、ジョージ6世との謁見は叶いませんでした。
ヘスが病院で療養している間、チャーチルはヘスと会おうとしませんでした。ドイツのナンバーツーが決死行で停戦を実現しようとやってきたのに会わないことに違和感を感じなくてはならない。ヘスが戦後最後まで釈放されなかったのは彼に語ってもらっては困ることがあったのです。
これらを組み合わせていくと、戦後をしたかったのは、やはりチャーチルです。ヒトラーには最後まで、「チャーチルさえいなければ、イギリスとうまくできた」という思いがあったはずです。
◀
ユダヤ人に対する蛮行は決して許されるものではありませんが、ヒトラーもヘスも、戦争を続けたかった訳ではなかったようです。
本作の製作国がイギリスであることから、ヘスへの贖罪の意味も含まれているのかもしれない。そんな想像も膨らみました。
ナチスの幹部ときくと、大概は好戦的で極悪非道なイメージがありましたが、本作を観てそのイメージが少し変わった気がします。
『夜と霧』の作者、ヴィクトール・フランクルは、過酷な収容所生活を生き延びた人たちは、最後まで希望を失わなかったと言っていました。また、信仰が支えになったとも。
作中のユダヤ人収容者が書いた詩に、彼の言葉への想像が喚起させられました。
太陽の光
輝かしく、暖かい
人間の肉体
若者、老人、そして我々
ここに収容されても
我らの心は、まだ冷たくはない
魂は燃え盛る
灼熱の太陽のごとく
引き裂かれ、砕かれ
苦しみを超え
じき見るだろう
高く翻る旗を
自由の旗よ
やがて来たる
過去を生きた人を想像することは、今を生きる人に智慧と、人生を豊かにするための教訓を与えてくれます。そのために、私たち人間には想像する力があるのだと思います。
君たちはどう想像し、どう生きるか。
そんな問いを投げかけられているような想像が湧きました。