慶應ボーイ

心の旅の慶應ボーイのレビュー・感想・評価

心の旅(1991年製作の映画)
2.7
 終始ゆっくり、おとなしく、静かに進む分、音という点により衝撃を与える。なんでも緩急が衝撃を生み、常に”強”でも良くないことを教えてくれる。
 僕の祖父は、仕事の弊害で耳が聞こえなくなった。それもあって、障がいを持っている人に対してかなりフラットな気持ちで接することに慣れている。耳が聞こえないだけで、普通に喋れるし、紙に書けば会話できるし、なんなら今でも仕事に行く。人間の機能の一部分が欠けたくらいで、変な目で見ることなどあってはならない。それよりも、僕は満足な体でいるのだから、文句など言わず、頑張らなければならないと考えている。
 今回の障がいは、認知症のような記憶障がいである。このタイプの障がいは、正直僕自身、向き合い方が分からない。できないことをサポートしてあげれる障がいなら何とかなるが、記憶がないとなると、その方にサポートしてあげようとしても、その方からすれば、知らない人に何かをやられてるという感覚になるかも知れないし、どのような状態にあるのかも想像がつきづらい。今後も認知症は大きな問題となっていくことが考えられるが、高齢化が進むことより問題なのは、少子化なのではないかと考える。高齢者というのは突然増えたりはしない。生まれた方が歳をとっていくだけである。一方、少子化は、最悪、日本から人がいなくなり、日本という国が終わることを意味する。そうなると、人間は動物としての使命を果たせないレベルである。そうなると、今私たちが、将来のため、などと言って頑張っている意味がわからなくなる。今生きる希望を持つためにも、将来の不安を無くしたい。そんな気持ちでみんな保険に入っているんだろう。それなのに何故、もっと根本的な少子化について深く考えないのだろう。じゃあ、子供産めばいいじゃんとか、そう簡単に解決するものでもないのが難しいのがジレンマである。
 話は映画に戻って、事件の真相になかなか戻らない中で、少しずつは進展している感は楽しめるが、そこが少しちんたらしてるので、退屈だと感じる人はいるだろう。しかし、現実こんなもんだ。この映画は現実をそのまま撮ったホームビデオみたいな感じなんだから。
 それにしても展開が進まなすぎる。そして、最後の最後に彼が復活するのかと思いきや、その逆をいくんか。最後に社会の闇、仕事としての仕方なさ、会社の利益のため、正しいことを正しいと言える会社は少ないとインターン先の企業が言っていた。それを少し垣間見た感じ。