鍋山和弥

アキラ AKIRAの鍋山和弥のネタバレレビュー・内容・結末

アキラ AKIRA(1988年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

何と言うか、理解できてない部分がある。難しい作品と言うのも、あろうが、きっと、この作品は、表現したいことが、大きく、また、多すぎて、分かりやすくは、描けなかっただろうなぁ~、っと言うのが、印象。この作品内の、ネオ東京。文明の発達し過ぎで、逆に、荒廃してしまったのだろう。誰もが、現状を、破壊して欲しいことを望み。狂ったように、楽しむ世界。荒廃し過ぎで、平和とは、程遠い。この作品内の西暦では、2019年。現在は、2022年。とうに、過ぎ去ってしまっている。じゃあ、この作品内の世界と、現在を比べてどうか?この作品内では、暴走族が、いて、ドラッグがあって、性欲に、溺れている。では、現在は、どうか?現在では、文明が、発達し過ぎて、職が無く、ある意味、貧困だ。そこは同じ。違うのは、暴力より、サブカルチャーが、発達して、パッと見た目、荒廃していない。職が無いための、シノギは、AV女優のように、体を売ること。性欲に溺れてるというより、狂った性欲に、苦しんでいる。萌え文化に、逃げてる人も多い。全然違う世界だが、正直、どっちもどっちだ。僕なんかからすると、この作品内の世界の方が、平和ではないかもしれないが、まだ、住みやすいかもしれないと、思う所もある。きっと、この作品が作られた頃には、今、現在が、想像出来なかったのだろう。この作品内には、超能力が、出てくる。超能力者は、子供が、老人になったような、姿をしている。老人になっても、心は、子供のままと言うことか。超能力者達は、アキラを目覚めさせては、いけないと言いながら、アキラを、慕っていたようだ。アキラの人柄は、描かれていないようだが、アキラは、強い力を持っていた。きっと、リーダー的存在だったのだろう。アキラを含む、超能力者達と、カネダ達、孤児院出身の、暴走族達は、共通点があった。施設に管理され、外と遮断され、育った。それが、超能力者達と、カネダ達を、結び付け、テツオが、超能力に、目覚めてしまったのかも、しれない。そして、この作品内の、登場人物達は、アキラに、目が眩んでいた。ある者は、アキラの超能力による、新発見に。ある者は、金に。この2つは、対立していた。末端の軍人達や、テロリスト達は、ともかく。組織のトップを見れば、どっちもどっちだ。結局、組織という物は、こういう物なのだろう。この作品内でも、現在でも、純粋な心を保つのは、難しい。よく分からなかったのは、超能力を司る、エネルギーについて。人間、元を正せば、水だった。それは分かるが、『宇宙の始まりだと言うのか?』の辺りは、よく分からなかった。見直した方が、良いのだろうが、正直、この作品を見るには、相当、集中力がいるので、ちょっと、疲れてしまうため、見直すのは、先のことかもしれない。
鍋山和弥

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