ちゃんしん

愛を読むひとのちゃんしんのネタバレレビュー・内容・結末

愛を読むひと(2008年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

最後まで大人になれなかった坊や 。

マイケルが酷すぎる…。
最後の最後まで自分がどうすべきか?
どうするのが一番悔いが残らないのか?
を判断出来ない優柔不断さが、全てに繋がっている。
優しさで手を差し伸べたり、思いを受け入れなかったり、中途半端に行動してみたり…。
最後まで大人になれずに「坊や」のままだった。
ハンナが可哀想過ぎる。
彼女は自分の生き方にずっと誇りを持って生きてきた。
マイケルが人の目を気にして電車の2両目に乗り込んだときも、何故、堂々と会いに来ないの?
(大人の男としての自覚はないの?)
って、怒った。
誰も知りあいがいない田舎の旅行では堂々とするマイケル…。
まあ、「坊や」では仕方ないことだけど…。
ハンナはアウシュビッツでの看守としての仕事も自身のプライドを持ってその役割を果たしたし、電車の車掌としてもしっかりと仕事をし、出世するところまで評価されていた。
彼女は常に一生懸命に生きていたし、物語に涙したり、ちょっとしたことに気がつき、人間味のある暖かい性格で、一人の人間としての誇りを持つ立派な人間だった。
ただ一つの足りない能力を除いて…。

その当時のドイツの識字率など知る由もないが、日本と同様に貧困家庭や農家の生まれだとしたら文盲の人も多かったことだろう。
善悪としての罪の評価は別として裁判における罪の評価は、大学の教授が指摘したように、その時の法律、その時代や国家が支配した状況下で判断されるべきであり、一概にそれを判断出来るはずもない。
もしかしたらドイツが勝利する歴史があったとしたら、その評価は違った形になっていたはずである。
評価というものの全ては勝者の論理にしかならない。

それが正しいとは言えないのだが…。

ただ、正しくない評価はいつか必ず是正される。

そんな状況でもハンナは自分の罪を理解していたしほかの看守達のように自分の罪を他者に向けたり言い逃れしたりもしなかった。
自分の犯した罪はどんなことをしても許されるものではないと強く感じていたからこそ、敢えて文盲のことを言い訳として使わずに罪を償おうとしたのだろう。
さらに獄中でも自分が出来る償いを大切な想いをしまう缶に貯金という形でやり続けた。
法学生だったマイケルは、唯一、ハンナを救える存在だったのに、自分の将来を優先して彼女を救うことを躊躇った。
弁護士として救える罪を無視した訳だ!
その後悔の念から、自分が出来る救いの意味でテープを送り続ける。
ハンナはそれを愛だと思い、生きる希望をそこに見出したが…、 彼女に対するマイケルの言葉は、獄中からの救いの希望に対する失望と未来に対する絶望に変えてしまった…。
自分は罪を認めて長い刑罰も受けた。刑務所内で自分が出来る細やかな償いの行為もした。
でも唯一の理解者だと思ったマイケルにさえ、まだ、自分の犯した罪を赦して貰えない…。
どれだけ悔いても、どれだけ償いをしても赦されない...。
自分の死でしか自分の罪は消されないのだろうか?

愛を読むなら最後までしっかりやれよ!

彼女が自殺をすることで初めてマイケルは自分の至らなさ不甲斐なさを痛感し精神的にも大人になった。
身体も心もハンナに大人にしてもらって…、初めてこの男は真摯に子供に向き合う。

酷い男だよ。
この男は…。

中途半端が一番罪深い。
人にも自分にも悔いが残らない生き方をしなきゃいけないとつくづく思う。
ちゃんしん

ちゃんしん