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中国女のotomisanのレビュー・感想・評価

中国女(1967年製作の映画)
3.7
 銀行家の娘アンヌは農村で下放を経験したら哲学の出来が良くなってバカロレアに受かってしまったらしい。若い時の成功体験は強力である。あらためてほかの若い連中と共産主義や毛沢東やらを勉強しだしたら、どうやら自分はテロリストが使命と思えてきたようだ。

 中国では文化大革命が2年目、走資派をやっつける毛沢東は紹介写真も長征時代の若さで宣伝臭プンプンだ。つまり文革と同時に下放のよさを知ったアンヌは毛沢東思想の実践で磨かれているというわけで「LA CHINOISE」を名乗るのも伊達ではない。
 そこで、あらためて仲間たちと共産主義プリズムをくぐり抜けてみるとなるほど、5人5様の色分けとなる。なにが気に入らないのか死んでしまう者、文化活動のスパイスには激辛過ぎと敬遠の者、市場でたまごぶつけの的になる者?これは下放の最中、走資派子弟がいじめに遭ってますということか?いやいや、誰が何色だかさっぱり分からないが、アンヌだけは紫の向こう側の高エネルギー状態。肥し臭いナンテール校をはじめ反動的大学閉鎖を掲げて文化大臣で保守派のマルロー氏をついに暗殺してしまう。

 つまり、19歳女子にとって、またド・ゴール国家にとっても事重大なはずであるが、監督の描くところ、事態はまことにそよ風のようなもんである。
 革命の先鞭をこのマルロー殺しの一点突破で成し、学生、労働者に覚醒を促そうという積りなのか?キミは地に足のつかぬバカなのかね。と今スピリドーノヴァを気取りそうなアンヌを曝し者にしそうな塩梅である。
 ところが、マルローのほか1名殺害の箔まで付けて彼女は銀行家の父上自宅で謹慎へ?革命には犠牲がつきものとでも思っているのか?まだプチ・テロリストだし、きな臭い時勢なんだし、ほとぼり冷めたら大活躍だしと爪をコッソリ研いでいるのだろう。案外こんな若気に謹慎の無聊を鬱積させたら、ちょっと皮肉な若さの挽歌を紡ぐのにピッタリじゃあないか?
 そんな作品の伏線にでも使えたりするかもな、ぐらいの事を監督は思っていたかもしれないが、まさか「Mai 68」のような事を果たして見据えていたものか?
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