アランスミシー

マッチ工場の少女のアランスミシーのレビュー・感想・評価

マッチ工場の少女(1990年製作の映画)
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ロブスター、プロミシングヤングウーマンへの影響

労働者3部作完結
全3部に渡って皮肉(コントラプンクト)として使われるフィンランド歌謡曲が胸に沁みる

一見主人公に見えるマッチ工場の少女は実は賢者であり、本当の主人公は彼女の両親と社交クラブで出会った男(という両者、分断された世代間)

高齢者層と若年層の間に生じた思想の分断
それぞれ偏りすぎた保守思想とリベラル思想の間を繋ぎ中和するべく見本的な行動をするマッチ工場の少女だが、両者とも変化できず、絶滅という結末を迎えてしまう。
天安門事件の映像がまさに上記に記した世代間の分断という社会問題を示している
文化大革命で最も傷付いたのは若年層世代の親や恋人を失った女性たちである。

少女の実家に来た男と両親との間の不穏な空気もまさにそれを表している。

少女にとっての兄の存在=社会に対して正しさを貫く相棒(仁義なき戦いで言う菅原文太にとっての梅宮辰夫)

《両親》安全志向→挑戦志向
共産主義革命以前の中国が行き過ぎた保守故に、年功序列など文化や伝統を子供世代に押し付けた歴史に対して、この映画では親が少女の赤い服を着るという些細な欲望を縛る行動を取り、連れてきた男にも冷たい態度。

《社交クラブの男》挑戦志向→安全志向
文化大革命での若年層世代が親や祖父母世代から受けた伝統の押し付けに反動する形で他人の命や次世代の未来を考えず暴れ狂ったのに対し、この映画での「クラブの男」は少女の自分に対する愛を一時の性欲処理の為に利用し、果てには授かった子供の命まで「始末してくれ」と非情な扱い。