2024年146本目
U-NEXTとAmazonプライムで配信されている。U-NEXTの方は「上映時間147分」となっていて、これはおそらくゴールデン洋画劇場の吹替版の時間。しかし、再生ボタンを押すと、ちゃんと183分のフルスケール字幕版が再生される。紛らわしい。Amazonプライムでは現在100円というタダ同然のセール価格でレンタル可能。
この映画が文化的、歴史的に重要であるとされるのは、ハリウッドが描くことを避けてきたベトナム戦争の敗戦が、アメリカ社会に残したトラウマを直視し、記憶を再構築するという営みを行ったからであり、その後多くのベトナム戦争映画が作られるきっかけになった。東北大学機関リポジトリの「ベトナム・ベテラン映画『ディア・ハンター』の一考察」はこの映画の論考として大変優れた内容で、本作の持つ歴史的意義をよく理解できる。記録として、論旨を簡単にまとめてみる。
・『ディア・ハンター』は、ベトナム戦争によってトラウマを抱え、男性性を喪失した男たち(両足を失ったスティーブン、ベトナムから帰れないニック、故郷に帰っても軍服を脱げず、鹿を撃てなくなったマイク)の物語である。主人公マイクは最終的にリンダと性愛関係になることで男性性を回復し、戦争で傷ついた故郷の共同体を再生する中核となっていく。マイクの導きで妻の元へ帰ったスティーブンも同様である。しかしニックは戦争のトラウマを克服できず、非業の死を遂げる点でマイクと対比される。
・映画はまた、マイクとニック、リンダの三角関係の物語である。ここで重要なのは、この三角関係がリンダをめぐる2人の男の争いというよりは、むしろ女性の「交換」を通じて男同士の絆を確認し合うことにある(イヴ・セジウィックのホモソーシャル理論)。ここで、マイクとニックの関係はホモソーシャルであるだけでなくホモセクシャル的であり、第一幕で2人の間だけで行われる鹿狩り(性行為のメタファー)がそれを象徴している。第二幕でニックを喪失したマイクは鹿を撃てない。第三幕でリンダを「寝取る」ことによって、マイクはニックとのホモセクシャルな関係を排除し、ホモソーシャルな関係へ移行している。このことが、共同体の再生という主題を支えている。
・ニックの死と、その遺体を持ち帰ることは、ベトナム戦争のトラウマに対する「喪」の儀式の役割を果たしている。マイクは愛の対象としてのニックを二度喪失する。一度目はサイゴンの雑踏に消えたマイクを見失った時、二度目はニックの死である。有名な「ロシアン・ルーレット」の場面に象徴されるトラウマ的な出来事を経験したマイクは男性性を喪失し、鹿を撃てなくなる(ニックの喪失を受け入れる)。その後リンダと結ばれ、共同体を支える男性となる。再びサイゴンに戻ってニックの死を見届け、その遺体を持ち帰る。これは、アメリカ国家が戦死者の追悼行為を避け、それによって遅延されていた喪の作業を執り行うことを通じて、悲しみを共有し、共同体を再生することを主題化している。