大和屋竺が『殺しの烙印』や『荒野のダッチワイフ』、『裸の銃弾』など自身が手掛けてきた悪党たちによるノワールアクションをより前衛的に突き詰めて製作したような一作。一説によるとこの映画では大和屋は演出にもかなり口を出しているらしく、そのためか彼特有の悪夢のような世界観が濃厚に漂っている。大和屋竺による殺し屋ワールドは実写ではこの作品を経て本人監督の『愛欲の罠』で終止符をうたれ、一方で『ルパン三世』などのアニメ作品で独自の殺し屋世界を開花していくことになる。
話は乾いた裏世界で大金を巡って悪党たちが互いを出し抜いて殺し合うという典型的なギャング映画だが、あまりにもシュールでかつ予想もしない展開が相次ぐため物語を把握できなくなっていく。ラストに至っては冒頭に来た場所に主人公のクロとマリが戻ってきてしまい、まるで話が循環して夢が最初からやり直しになったようなところでぶつ切りのように終わらせてしまい唖然としてしまう。
そのため話よりも登場する殺し屋たちのキャラを味わった方が楽しみやすい。香水に拘りを持つ変態・坊や、南国へ行くことを夢見る日野、警察官だった過去を持つデカ長、拷問で舌を切られ唖になったクロ…。彼らは非現実的なキャラ設定なのにどこか生きることの苦しみや悲哀が感じられ、不思議と共感できてくる。
あと炎の中で女を犯すシーンをはじめ異様なディテールが冴え渡るショットの数々が見るものを魅了し、不思議な映画空間へと誘う。車からクロをマシンガンで撃つも彼に反撃されるシーンは邦画アクションの中でもかなりのかっこよさ。そして大和屋特養の女性に対して容赦のない暴力描写が酷すぎてかえって痺れる、情報を聞き出すために拉致した女性を拳銃で殴り顔を血まみれにするシーンは50年前の作品とは思えない迫力。
四千頭身・都築に似ている大和屋竺が主人公のクロを異様な迫力で熱演しインパクトを与えるが、他の役者もピンク映画の中から強面のギャングにぴったりな役者陣を揃えており負けていない。特に山本昌平のボスに許しを乞うため遠藤章造のホホホイダンスに匹敵する裸踊りをするシーンは笑いと涙が両方くるという奇跡的な力演を見せ圧倒される。
これほど変な作品なのに、終わったあと何故か変な満足感が後に残るのが怖い。これが映画が持つ恐怖というやつなのか、それとも大和屋竺と梅沢薫コンビの仕掛けに嵌まってしまったのか。
所々に『野獣の青春』や『殺しの烙印』、『東京流れ者』、『紅の流れ星』など日活アクション映画っぽい演出が入るのがファンとしては(^ー^)とする。