インターカステラー

ペパーミント・キャンディーのインターカステラーのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

運命論、予定論的な不条理さを感じるニヒリズム映画だった。
『アレックス』のように時を遡ることでストーリーが進むので不可逆性を受け入れざるをえない残酷さが魅力。
自然な流れで絶望へと足を踏み入れていく様は「人生は無意味」と隠れたメッセージを発信していて、途中彼が呟く「人生は美しい」を皮肉っているのでは?
どの登場人物も美しい人生を過ごしているようには見えなかった。
劇中2回(多分キリストへ)祈るシーンがあるのだが、人間は無意識で罪を重ねてしまうのかと考えさせられて悲しい。
ただ、心の平安を保つために神にすがることは積極的な肯定に繋がるのでこれは習うべき習慣だ。

逆再生されている線路のシーンが話の間に挿しこまれていて、ピックアップされる彼の記憶ないし思い出がまるでプラットフォームのよう。
重要なのはどの駅に停まったかで、通勤などで電車の移動途中の記憶がないことを示唆しているように思える。
肝心のプラットフォームではなぜ彼が追い込まれたのか、一体何があったのか、時を遡ることで原因が深掘りされていくのでどんどんストーリーにのめり込んでいき面白い。
人間性が浮き彫りになると同時に彼の印象が頻繁に変わるので各話で一度共感した自分が度々裏切られるので飽きない。

最後のピクニック→不幸な人、不条理に絶望を感じている人
人生は美しい→クソ野郎
兵役時代→大海原で迷う青年
最初のピクニック→優しい青年

いつものように取り調べで拷問する彼の冷たい人間性に激しい怒りを覚えるが、学生時代の心優しき青年像をみるとそれもなくなった。
人間の心が荒むのはなにか理由があるんだ。
無碍に評価してはだめなんだ。

最初のピクニックで「この景色を見たことがある」と呟き、仲間で輪を作りみんなが唄う歌を聞き涙を流すシーンは、ただのデジャヴじゃなくてこれから訪れる絶望の未来を予感したのか?
ここで先の出来事を知っている鑑賞者の自分は胸が熱くなった。
彼が不幸になることに特別な理由がないからだ。
最初のピクニックでは楽しい歌なのに、最後のピクニックでは悲しい歌になっているこの対比が転落した人生の表す一目瞭然な演出だった。

ペパーミントキャンディなんて焼肉を食べた後くらいにしか出会わない(別に欲しくなるわけではない)くらい存在感が小さいが、この映画を観て思い入れが強くなった。
やっぱり映画って凄いなぁ。
もしかしたらあそこでペパーミントキャンディを拾っていれば彼の人生は大きく違っていたのかもしれない…。