ペパーミント・キャンディーのネタバレレビュー・内容・結末

上映館(1館)

ペパーミント・キャンディー1999年製作の映画)

박하사탕/PEPPERMINT CANDY

製作国:

上映時間:130分

ジャンル:

4.0

「ペパーミント・キャンディー」に投稿されたネタバレ・内容・結末

 現在、『バーニング 劇場版』が公開中のイ・チャンドン監督の作品。私は存在は前から知っていて、観たいと思っていました。しかし、あいにくソフトは現在絶版でAmazonでは値段が高騰しておりとても手が出せず、しかも近場レンタル店では取り扱ってないという状況なので、観たくても観れないという状況が続いていました。そんな中、上映が決まった今回の4Kレストア版。絶対に観たいと思い、時間を何とか作って鑑賞してきました。

 鑑賞して、噂に違わずかなり重い作品で、1人の男の「罪」と「罰」を描いたものであり、人生についての話であり、魂の救済の話でもあります。観終わった後はしばし呆然とするくらい、素晴らしい映画でした。

 本作は、キム・ヨンホが人生に絶望し自殺を図り、電車に向かって「あの頃に戻りたい!」と叫ぶところから始まります。この彼が自殺を図ろうとした理由を、彼の人生を切り取った7つのエピソードを遡っていき、オムニバス的につないで解き明かしていくというのが、本作の大まかな内容です。

 本作を「上手いなぁ」と思ったのは、このエピソードを観ていくにつれ、この主人公のキム・ヨンホに対する印象がどんどん変わっていく点。最初こそ、惨め極まりない状態でずっと泣いているので、私としても同情し、「さぞ辛い目に遭ってきたのだろう」と思わずにはいられませんでした。

 しかし、3つ目の〈人生は美しい 1994年〉からガラッと印象が変わります。コイツがかなりのクズ男だということが判明するのです。家具店を経営し金回りはいいものの、探偵を雇って浮気現場に強襲し、相手をボコボコニします。しかもそれだけでは飽き足らず、自分の妻にまで暴力を振るいます。そのくせ自分は別の女と浮気しているのです。控えめに言って最低で、奥さんに捨てられても文句など言えるわけないと思わせられます。また、途中で出てくる旧知の仲っぽい人間に対しても非常に高圧的な態度で接しています。「人生は美しい、だろ?」とヨンホが彼に言った台詞が、非常に傲慢なものに感じられます。

 さらに強烈なのが4つ目の〈告白 1987年春〉。ヨンホは家具店を経営する前、何と警察に身を置き、民主化運動を取り締まっていたことが判明するのです。『1987 ある闘いの真実』でも描かれた、権力側の人間だったわけです。コイツは。なので、普通に一般市民を拷問したりしています。しかもその拷問されている人間が前のエピソードで出てきた人。ヨンホ自身は奥さんと暮らし、赤ん坊も生まれそうというだけに、余計に行いがおぞましく感じられます。というか、そもそも1994年でもしっかり家具店かなんかを経営しているということは、コイツは上手いこと自分が犯した罪から逃げたことになります。ここまで考えると、余計に胸糞が悪い。

 しかし、終わりの方で、ちょっとした変化があります。ヨンホは行きずりの女性を関係を持つのですが、「初恋の女性を思い出して」と言われ、抱かれた時、彼その女性の名前を呼び、泣くのです。そしてその後は、我を失ったように彷徨い、「思想犯」逮捕の時もボーっとして何もしないのです。

 これはどうしたことかと思いながら次の〈祈り 1984年秋〉を観て、またヨンホへの印象が変わります。彼はこの時は新米刑事で、まだあどけなさを残しています。拷問にも非常に消極的で、警察の上司に対してちょっとした抵抗も見せたりします。しかし、あの「手の汚れ」から、彼が変容していくのです。上述の「初恋の人」スニムが会いに来ても、別の女性に手を出しているところを見せつけ、彼女が持ってきた「彼の夢」であるカメラの受け取りを拒否します。

 なぜスニムを拒絶するのか。その全ての答えが明かされるのが〈面会 1980年5月〉です。ここでの彼は、兵役中で、まだ足の怪我もなく、1984年よりもさらに純朴そうな人間です。そんな彼ですが、光州事件下で殺人を犯してしまいます。ここで全てがつながるわけです。要はヨンホは、この殺人の罪を、自身をダークサイドに落とすことで贖っていたのです。こう考えると、本作は「時代に翻弄された人間の話」と捉えることもできます。

 また、ここから、彼が自殺を決心した理由も、おそらく最愛の人であるスニムが危篤になったからだろうと想像できます。彼にとって、彼女は綺麗な思い出であり、だからこそ自分から遠ざけていたし、危篤となったから自分の生きる意味もなくなったと考えたのだと思います。軍のトラックが次第にスニムから離れていくシーンが非常に印象的です。

 そして映画は〈ピクニック 1979年秋〉へ。このシーンでは、ひょっとしたら、ペパーミント・キャンディーで味消しできるように、一巡してヨンホが人生を「やり直せる」可能性が示唆されています。もしそうだとしたら、今度こそは、彼の人生が幸せであるように祈らずにはいられません。
この作品ページの関連記事が「映画のようにオシャレに出かけたい!ピクニックが印象的な映画8本」ということで、なんというか、最初のトンネルを抜けるところと、主人公が最後に流すまるでこれまで我々が見ていたものを一緒に見ていたかのような涙とを繋げて考えてみると、この作品は主人公が繰り返し見続けてきた煉獄の風景なのかもという気がしてきてしまったので、そうしたものをオシャレなピクニックと言ってのけてしまえるたくましいメンタリティを身につけてから地獄に落ちたいものですな、という単なる鑑賞記録。
正直、一番初めの方はおじさんが
クズで狂ってて本当に理解し難くて
なんだこの人って思った。
初恋の人とか嘘だろって思ったし
会いに行った時も胡散臭いと
思ってしまった。

列車と共に一つ一つ時が遡り
次第に時代背景も見えてくる。
中盤ぐらいに差し掛かると、
どんどんと事実がわかってきて
胸が苦しくなってくる。
心優しい男が、圧力的な時代によって、
自分の弱さも重なって
自分自身が圧力的な人間に変わっていく。

時代って、簡単に人を制圧して
狂わせて、何事もなかったように
変わっていくけど、
時代だけの理由にできないのが辛い。
もちろんこんな人生を進んで
いったものなら私はもっと弱いから
死んでいたかもしれない。
だから、こんなこと簡単には言えないけど
自分の心の弱さと変な心の強さ。
これも原因の一つになってしまうのが
辛い。

男の遡る時を見るにつれ
可哀想じゃ片付けられない
辛さが垣間見えて最後のピクニックでは
心が苦しくなった。

ペパーミントキャンディーを一つ一つ
貯めていくごとに、スニムへの想いも
蓄積されていくかのようだった。
ガラス瓶に入った
ペパーミントキャンディーは分厚い
蓋でしっかりと閉じられていて
自分の気持ちも長年蓋をしてきて
片隅にあったんだろうな、、。

最後の涙はどこか変わっていってしまう
自分がわかっていて自分が
見えているかのように。
この初恋が惜しいものになると
わかっていくような涙にも見えた。

でも、それでも
きっと人生は美しいものだと。
"ペパーミントキャンディー"(1999)

冒頭 真っ暗闇の中心に光が見える

進んでいくとトンネルを抜ける

そして物語が始まる

鉄橋の下から目覚めた
ソル・ギョング演じる
キム・ヨンホ

深い喪失感と自責の念に
包まれた男は線路の上で

「帰りたい!」

と叫びながら自殺する

"その瞬間の顔"に
とてつもない狂気を孕んでる

死ぬ瞬間の人間の顔を
見たことはないけれど

「これがそうなのかもしれない…」

と思うくらい
その全身の迫力が尋常じゃない

以降走馬灯の如く

現在→過去

を振り返る逆説手法を見せる

列車は真っ直ぐ進んでいるが
人々は逆再生されていることで理解できる

キム・ヨンホの20年が
セクションごとに映し出される

<ピクニック 1999年春>
<カメラ 3日前の春>
<人生は美しい 1994年夏>
<告白 1987年春>
<祈り 1984年秋>
<面会 1980年5月>
<ピクニック 1979年秋>

20年という月日の中で

カメラを突き返したこと

スムニに嘘をついたこと

素直になれずに自身の妻と子どもをおざなりにしたこと

警察官から事業家に転身したこと

スムニを想いながらも
別の女性と時を過ごしたこと

国内の経済成長を体験したこと

民主化闘争の中で市街戦(光州事件)で女子高校生を撃ち殺してしまったこと

数々の点となる出来事は

キム・ヨンホの
人生史において線となり

後半 大きな影を
落とすこととなる

タイトルになっている

"ペパーミントキャンディー"

ユン・スムニ(キムの初恋の人)が彼のために渡していた飴で

さわやかさ
甘み
すき通る香り
清涼感
辛み

これらの混ぜ合わさった味が
キム・ヨンホ の『人生』と
掛け合わせる形で描かれる

→ピクニック 1999年春
⇨ピクニック 1979年秋

→鉄橋でキムが目覚める
⇨鉄橋で涙を流しながら目を閉じる

起と結が紐づいている

キム・ヨンホは

何に

"帰りたかった" 

のか

彼が帰りたかったのは

<ピクニック 1979年秋>

これからの人生において
輝くであろう希望を感じて

ユン・スムニと歩むはずの道を

自らの手で断絶した
人生そのものを

純粋な気持ちが
残酷さに変わってしまい

その後悔する気持ちを
推し量ることは容易ではない

初めて来た河原なのに

「前にも来たような気がする」
「きっと夢で来た場所かもしれない」

とキム・ヨンホが語る

そしてユン・スムニは

「その夢がいい夢だと良いけど」

と伝える

河原の眩しい日差しと
輝かしい未来が見えていたはず

だから劇中

2度問いかけられる

「人生は美しい」かと

本当はそうであった結末を
想像しながら

そして

「人生は美しい」と確信しながら

全身全霊で
死んでいったのではないか

と観終わって以来

考えずにはいられない
人生に絶望し列車自殺を図った男の20年の人生を、自殺地点から遡っていく形で振り返る。

悲劇が起きた地点から時間を遡る系の映画だと、幸せだった頃の記憶がたくさん出てきてそれが逆にものすごく切なくなっちゃうのかな〜って思うじゃん。
どっこい 遡っても遡ってもずっとロクでもない人生で違う意味で心ベコベコにされてしまった。
その分ラストにして始まりの地点、ピクニックの光景が燦然と輝く…

見る前は社会の理不尽や運命とか 何か大きなものに否応なく翻弄された男なのかと思ってたけど、意外と個人の資質によるというか、自身の選択によって少しずつ理想のレールを外れて疾走して行く男だったのがすごい。
もちろん社会情勢に影響されない個人はいないし、今回の主人公の場合はあの光州事件を体験していたりと、そのせいで歪んでしまった部分が多分にある。
けど、それに影響を受けながらも主人公が自ら選択したことによって少しずつ歯車がズレていく、そういうどうしようもなく愚かで 悲劇のヒーローにもなれない どうしようもなく「普通」の男だということがリアル。この場合の「リアル」は「辛い」と読みます。こういう人間もいるんだわ…
監督は韓国社会への厳しい目を持っているけど、その批判性と「愚かで人間くさい人間」(監督によるとこれが魅力的なキャラクターの条件らしい)を同時に表現しているように思う。

映画全体を通してキーポイントになっているのが、ペパーミントキャンディーと列車と韓国の民主化運動なのかなと思う。
列車の音と民主化運動に関するニュースはBGMのようにずっと背後で流れているし、女の子を誤射してしまうあの夜も線路の上。ちなみに監督も元活動家。
ペパーミントキャンディーは初恋の人スニム自身や幸せの象徴なのかなと思った。


各章の主人公の「選択」を整理してみた。

〈ピクニック 1999年春〉
走る列車の前に立ちはだかる。
観客にとっては最初の、ヨンホにとっては最後の選択。

〈カメラ 3日前の春〉
何度も自殺の選択を取ろうとしてできない。スニムから託されたカメラを売る(決別)
前章の「帰りたい」につながる選択。

スニムの意識がある内に間に合わないのも監督の容赦のなさ…
ここ、見舞いに買ったキャンディーを「君がくれたやつをずっと取っておいたよ」って言うの、観客は嘘じゃんって思うし、よしんばそういう思い出を大切にしてたとして、直後にカメラ売ってるからやっぱり観客には快く映らない。のに…この後の章で…もう…

〈人生は美しい 1994年夏〉
妻の浮気発覚による暴力と自身の不義。
不和に陥る家庭にたまらず逃げ出す。
離婚への序曲。

〈告白 1987年春〉
拷問による取り調べを繰り返すという凄惨な毎日の中 一人の女と出会う。
この章の最後の主人公はどこか呆然としている。この時に警官をやめることをぼんやりと考え始めたのかもしれない。
警官をやめることで後に破綻する事業につながる。

韓国の警官ってこんななの…?って思ったけど、時代的に民主化運動の真っ最中。運動も活動家の取り締まりも激化の一途。ちょうどこの年の6月に民主化宣言がなされる。87年というナンバリングも意識してのことだろう。
もしかしたら民主化宣言とともに主人公も警官を辞したのかもしれない。

〈祈り 1984年秋〉
スニムの手をはねのけ後の妻となるホンジャと寝る。

こんな流れで一緒になったから結婚生活あんななんだな…
後のヨンホは警察として躊躇なく被疑者を拷問してるけど、元はヨンホの出身的に 心情としては活動家寄りのようだった。ここでもヨンホは本来は望んでいないことを選択していく…

〈面会 1980年5月〉
少女への誤射。
おそらく除隊後の進路を選択するきっかけ。

前の章で、買ったキャンディーを君からもらったやつだよとか言ってたけど、ほんとに集めてたっていうのがもう…
この時スニムと面会できてたら何か変わったかな。
映画では特に明言してないけど、年代的にこの騒動は韓国の民主化運動 光州事件を背景にしている。最近『タクシー運転手』とを始めとして光州事件を基にした映画が多数公開されてるから 意図せず予習になってた。
鎮圧に軍が大量投入され市民に多数の死者を出したのは知ってたけど、投入される軍人もこんな状況のわからない中 言われるまま戦ってたのかもしれない。正に戦争と同じだ。

〈ピクニック 1979年秋〉
そして始まりにして終わりの場所へ

みんなが輪になって歌っている歌が冒頭でヨンホが歌っていたのと同じで、ああ彼が戻りたかったのはここなんだとわかる。
川沿いを歩きながら歌ってた歌の方はwikiによると『民主化運動の中で愛唱され、朴正煕政権下では禁止処分にもなったキム・ミンギの「アチミスル(朝露)」』だそう。

「ここに来たことがある気がする」と言い、ラストカットで1人涙ぐむヨンホは、線路上で「帰りたい」と叫んだあの時のヨンホなのかもしれない。
ラストシーンを見ると、あの戻ってるような進んでるような線路のシーンは(わざわざ先頭車両からの風景ではなく後部車両の風景を巻き戻してる。背景は後退してレールは進んでるように見える)ヨンホの魂の視点で、最後にここに帰ってこれたんだと思った。

どこか1つでも選択が違ったらあの結末にはならなかったのかもと思わせる、さらに「でもあの選択を不可避的にしてしまうのがヨンホという人間なんだ」と思わせるのがチャンドン監督のすごいところ。

「『人生は美しい』だろ?」
という言葉が皮肉にも真理にも取れる。

「本当にそう思うか?」
全てを失った男性の過去を遡りながら映し出す映画。
前日みたオアシス同様、後半までは身勝手な主人公にイライラ。こんな男、大っきらい。
でも、初めて尋問するとき、兵役での出来事を知るに連れ、何が彼の心を苛んだかがわかり、切なくなる。
生まれたときから嫌な人なんていなくて、いろんなことがその人をそう変えてしまうんだなと…
タクシー運転手を見るまで、光州事件について無知だった私。
今回も主人公の人生に大きな影響を与えることに。近い国なのに、割合近い時代に大きな悲劇があった韓国映画や台湾映画は、日本映画では描くことが難しいことを描くときがあり、ときにズシッとくる。
それにしても昨日みたオアシスと同じ俳優さんと女優さんが出てるって、今知ってびっくり。
演技上手すぎてわからなかった。
なんだろう、演技力は文句無しなんだけれど、好きか嫌いかで言うと、あまり好きではない。
兵役中に心に傷を負い、初恋の彼女には自分はもう相応しくないと悪ぶり離れていく。
そして初恋の彼女に相応しくない人物になっていく。

全てを無くし「戻りたい」と列車の前に立つ冒頭の自殺シーンから、だんだんと過去の映像が流れて主人公の変化を見せていく。

初恋の彼女以外は愛せなかったのか?妻や子供の為に立ち直れなかったのだろうか。
全てを無くしたと死ぬ主人公にどうも共感ができなかった。
時間軸が過去にさかのぼる構成がイマイチ乗り切れない。分かるんだけどね、"でも" がつきまとう。主人公の行動心理がつかみきれない、惜しい。冒頭のカラオケは根本敬の世界を醸し出していたと感じる私はマイノリティ。
はあ、、んもお、、、

これを観て、
この男を愛さずにいられようか??



あの自転車で店の中走るところ、つらたん〜!!
あと、出動のときのキャンディとかー

つらたんなところありまくりで
ああ素晴らしい映画だった
もう一度見返さないと

もお
ソルギョングさま、、、
もおお!
人生のレール。走り出した列車は途中で戻れない。
心が見終わった後ぼろぼろになった。
殺人者の記憶法も最初に線路を歩く描写があったようなと思い出して意図されてたのかな?と。原作があるのでそちらで描写があるのかもしれませんが(汗)