Jeffrey

ファウストのJeffreyのレビュー・感想・評価

ファウスト(2011年製作の映画)
3.8
「ファウスト」

冒頭、神秘的な森に囲まれた19世紀のドイツ。学問と探求、ファウスト博士、悪魔と噂される高利貸マウリツィウス。純真無垢なマルガレーテとの出会い、愛と引き換えに自らの魂を差出す。今、運命に翻弄される人間ドラマが圧倒的な迫力で描かれる…本作はソクーロフによる権力4部作の最後を飾る作品で、 第68回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した集大成。まず、アドルフ・ヒトラーを描いた99年の「モレク神」01年のウラジーミル・レーニンを描いた「牡牛座」05年の昭和天皇を描いた「太陽」とこれまでに制作したが、この作品に至っては伝記的な作風では無い。このた度BDにて2回目の鑑賞をしたが素晴らしい。ソクーロフ作品を連続してみたが、ベスト5には入るだろう。

前にも言ったがコンペで争われ見事に最高賞を受賞したこの作品の当時の審査委員長がアロノフスキーで彼は"これまで見たことのない、できれば再びは見たくない世界にいざなってくれる映画"と評したのだが、果たして…。同じロシア人であると言うことがどうしても引っかかってしまう。まぁ確かに審査員満了一致であることも言われているし、作品自体も素晴らしいのだが、こういった映画祭の審査員長の趣向と言うのは必ずつながってしまう裏事情がある。

まず、この映画はかつてドイツに実在したと言われている魔術師ファウストの伝説を基に、文豪ゲーテが生涯をかけて書き上げた名作ファウストをソクーロフが映像化したものであり、人間と悪魔が繰り広げるミステリアスで壮大な物語である。

さて、物語は神秘的な森に囲まれた19世紀のドイツを舞台にし、あらゆる地上の学問を探求したファウスト博士は研究を続けるために悪魔と噂される高利貸の男の所へ訪れる。彼は生きる意味を教えようと囁き、ファーストは純粋無垢なマルガレーテと言う女性と出会う。その美しさに一目で心奪われたファウストは彼女の愛と引き換えに自らの魂を高利貸のマウリツィウスに差し出す契約を結ぶ…。


本作は冒頭から非常に魅力的である。まずファンタジー映画に迷い込んだ如くな幻想的な空撮が滑らかなカメラワークで行われる。それは美しくそびえ立つ建築物や、自然が写し出される。そして腹を裂いて赤子を取り出すグロテスクな描写へと変わる。そこには2人の男がいて、会話をしながら食事をし、生肉をナイフで裂いている。そして板に磔にされた死体がフレーム内に映る(そこから1人称が交じる)。

高名な学者のファウスト博士と助手のワーグナーとともに研究室で魂の存在を探しているようだ。そうした中、ファウストは"神など存在しない"と言い放つが、ワーグナーは"悪魔は金のあるところにいて、広場の近くに住んでいる男が悪魔と噂されている"と助言する。研究費もなくなり、食事もありつけないファウストは父親を頼って診療所へ向かう。そこには貧しい患者たちを黙々と診察する父にファウストは思いを打ち明ける。だが、彼は金を貸すことはできないとファウストを追い返す。

その診療所には老人がロープを手に縛られて引っ張られる拷問を受けている。ところが拷問ではなく背中を治す為にやっていたのだ。老人は解放され、その場から去る。続いて、ふくよかな男性が腹を満たさなくてはダメだと言う食事を持ってくる。そこには鶏が産んだ卵のようなものがある。それらを食べて教授は外に出る。


街を彷徨うファウスト…。

そうすると子供と大人がお前は新紳士なんだから何か金目の物を恵めと強引に奪おうとするが、教授は力ずくでその場から離れていく(そして引き続き教授の1人称が始まる)。そして彼は悪魔と噂される高利貸の家へ向かう。そこには神父が出入りしているようだ。高利貸は自分の名前を名乗り、ファウストは指輪を担保に金を借りたいと申し出る。だが、男は妙なことを言い始め、ファウストは男の家から出て行ってしまう。

そこからファウストとマウリツィウスとの2人の行動が映されていく…と簡単に説明するとこんな感じで、後にファウストが刺し殺してしまう男が洗濯場で出会った美しい女性マルガレーテの兄だと知り、絶望しながらその事がマルガレーテにばれてしまい、彼はさらに絶望する。そうした中、悪魔から差し出された契約書に自らの血で署名するまでの過程とそのあまりにも美しく残酷なクライマックスが訪れるまでを描いている。

いゃ〜、とにもかくにも2時間を超えた頃からこの映像は本領発揮している。とんでもなく幻想的で美しいし、神秘主義が垣間見れ、ソクーロフの美学が頂点に達したと言っても過言ではないシークエンスがある。


上記でロシア人がロシア人に受賞させたと言ったが、正直68回目のコンペティション部門の正式出品作品を見ると、どれもぱっとしないものばかりである。そう考えると確かに「ファウスト」が金獅子賞にふさわしい唯一の作品だったかもしれない。


主人公演じた役者はドイツが誇る人気俳優のヨハネス・ツァイラーで彼の迫真かつ存在感はこの作品を水準へと導く大きな要素の1つだと感じる。それから高利貸を演じた人はダンサーらしく、あの不気味な動きなどは全てそこから生かされていると思える。改めて見て思ったのが、この映画って面白いことに人間と悪魔の絶妙な駆け引きが淡々と映されていて、その中に笑いがあったり、幻想的な世界を垣間見ることができて、芸術肌のソクーロフ監督のフェルメールの名画のような美しく輝く演出とイゾルダ・ディシャウクの美貌が素晴らしく、切なさすら覚えてしまう映画だなと…思う。

私はよく作品のスタッフ一覧を覗いて読むことがあるのだが、この作品も色々と見た結果やはり「エルミタージュ幻想」や「アメリ」などの名だたる人々が集結していた。一般的に監督が凄く評価されがちだが、映画と言うのは集団芸術である。そういったことを考えるとやはり全てが完璧に揃わなければ、こういった魅力的で色彩豊かな見るものを虜にするような傑作は生まれないと思う。

まさにこの作品はファーストショットからラストショットまでの全てが、このソクーロフ組と言ってもいい人々のおかげで水準的な傑作を産み落としてくれた。


あの若い娘と出会う洗濯場のシーンはすごく魅力的である。同行してた男が裸になると人間離れした体つきをしていたり、少女のスカートを覗こうとするファウストと悪魔の滑稽な姿やそこでソクーロフ美学の圧倒的なタッチが垣間見れて非常に良い。それに2時間を超えたところで岩山の細道を鎧を来た悪魔と一緒に登っていくシーンで色彩がモノクロームに近い演出になったり、あの大きな河を横切る場面や雨の幻想と噴水のように湧き上がる水の神秘性には驚かされる。

この映画で最も美しいのはクライマックスである。熱い水が上へと吹き出て、冷たい水が下へと流れるこの運動がとてつもなく素晴らしいのである。それを空中撮影したり、クローズアップ、ロングショットを使い分けて捉えるのも最高だ。それから監督の代名詞の1つである遠近法を使っての演出はこの作品でも健在である。それにあの一面冬化粧した大地の美しいフレーム作りは記憶に残る。

それにしても原作はドイツ人で、古典文学がドイツで映像化されてなくてロシア出身のロシア人である映画作家が監督して、金獅子賞を受賞したことにドイツ人はどう思うのだろうか少しばかり気になる。ぶっちゃけた話、技術的にはハリウッド映画も顔負けの水準に足していると思う。とりわけハリウッド映画には見られない奥行きを意識したフレーム作りがこの作品にはある。

余談だが、ゲーテは20代半ばから作品を書き、死際まで作っていたと考えると60年近くを使って作り上げている…あっぱれだ。
Jeffrey

Jeffrey