そーた

ディア・ドクターのそーたのレビュー・感想・評価

ディア・ドクター(2009年製作の映画)
4.2
そのもの

惻隠の情。
人に対して抱くいたたまれない気持ちの事。
井戸に落ちそうな赤ちゃんに手を差し伸べる時の気持ちなんかを指すんだとか。

喫茶店でぶっ倒れる香川照之に手を差し伸べる気持ちでもいいな。
ふと、そんな事を考えてしまう映画でした。

僻地の医者の失踪と、
そこに隠された"嘘"とは。
僻地医療の現実を描きながらも、コミカルな演出によってそのテーマの固さがほどよくほぐされています。

鶴瓶さん初主演の作品。
演技なのか素なのかは分かりませんけど、非常に引き込まれてしまいました。

ぼそっとしゃべる感じが何を言っているのか一瞬分からなくても、
不思議としっかり伝わってくる。

あの人にしか出来ない芸当です。
恐らく普段もあんな感じなんでしょうね。

その普段の感じを演技に転嫁した西川美和監督の感覚は鋭いと思います。

役者の素を演技に応用させる。
脚本から監督、演出までこなしてしまう彼女の手腕はさすがでした。

鶴瓶さんと八千草薫さんが一緒に野球中継を見る場面。
その演出が際立ちます。

これ演技なの?と錯覚するくらい普通な二人。
何とも言えない空気感が漂っていました。
すごく好きなシーンです。

そして、演技面以外の演出もまた素晴らしい。

香川照之が吸うタバコのチリチリとした音。
風になびく稲穂のしなやかな様子。
流しでじわっと溶けていくアイスバー。

ふとしたシーンでストレートに表現される"質感"を伴った演出。
その質感は脳で認識される前段階で止まってしまったかのようでした。

まるで、「質感そのもの」のような感じがするんですね。

その質感を人の内面と対比させてみます。
すると、人の心の純粋な部分が炙り出されてくるんです。

人に寄り添ったり、優しくしたり、何かをしてあげたいと思ったり。
このような感情は人の心に自然と沸き上がってくるもの。

惻隠の情と表現する事もできるけれど、もっと衝動的で「感情そのもの」と言うか、それは言葉で言い表せない心の働きなのかもしれません。

「その嘘は、罪ですか。」

罪かどうかは人間の制度の問題。
この問いの次元よりももっともっと根元的な部分に人間の善悪では割りきれない心の面白さがあるんじゃないでしょうか。

そういう面白さは社会の仕組みの中では埋没せざるを得ないんだとも感じてしまいました。

井戸に落ち込んでしまったのは、
人間の心の方だったんですね。

引き揚げればまだ使えるはずです。
そーた

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