えいがドゥロヴァウ

エンター・ザ・ボイドのえいがドゥロヴァウのレビュー・感想・評価

エンター・ザ・ボイド(2009年製作の映画)
4.1
6年前にタイムスリップ(転載)じゃわい



シネマスクエアとうきゅう(新宿)にて。

フランスの鬼才ギャスパー・ノエ監督作品。
名前は前から知ってて興味はあったけど、過去の作品は未見。
近親相姦やら何やらと、テーマが重いので手がなかなか出なかったのです。
そして、今回のテーマはドラッグ、セックス、そして輪廻転生。

東京の新宿で暮らす兄妹、ドラッグディーラーのオスカーとストリップ嬢のリンダ。
ある日、オスカーは友人の密告により警察に追い詰められた末に銃殺されてしまう。
死んだのちにオスカーは、魂となって空から街を漂い、 残された妹の姿を追うのだった。

鬼才と言われるに相応しいキワモノっぷりを発揮していますね。
オープニングでは、ポケモンの画面チカチカ騒動も真っ青の極彩色で映し出されるクレジットと、ダフトパンクのトーマ・バンガルテムによる音楽で初っ端からカタルシスに陥る。
痙攣してる観客はいなかった、と思う。

そして物語は、全編に渡って完全にオスカーの主観で描かれていく。
ドラッグでトリップしているときも、死後、自由に壁をすり抜けながら街を漂っているときも、観客は彼の目を通してでしか映画の中の世界を認識できない。
魂となったオスカーは、人の体に入り込んでその人の視界を共有することも可能。「マルコヴィッチの穴」さながらのドキドキピーピング。
回想(走馬灯みたいなものだけど、長い)を見ているときは、視野の前方に彼の肉体が常に置かれているというのも面白い。回想と現在を区別するためかな?
「潜水服は蝶の夢をみる」も主人公の主観映像で描かれているけど、回想は違ったので全編というわけではない。あの作品もフランス映画だった。

魂となってもオスカー主観は続くが、彼は現世に影響を及ぼすことも出来ず、また言葉を発することもない。
映像的にはほぼひたすら傍観しているという状態が続くのも奇妙な感覚を誘った。

尺は2時間半で、この手の前衛的な映画としてはとても長いけど、主観+長回しという、編集点を意識させない手法のリアルタイム性も助け、オスカーと一緒にトリップしているという感覚に浸って楽しめた。
「死」は最期のトリップ体験なんだとさ。
ちゃんと生きたあとの楽しみに取っておきたいもんだ。

新宿の劇場で観たから、劇場を出た瞬間に一気に現実に引き戻された。
劇中でこれでもかとカラフルで艶やかに強調された世界の実際は、灰色に感じられた。
新宿は嫌いだ。