小さい頃に何回も見た思い出の映画。作者は大人が見ても楽しめる作品にしたかったとのことです。
逆襲劇の他に戦争否定のような作品でもありました。同種の生き物で争うバカバカしさを表してました。そしてもう一つのテーマとしては「自分とは何か?」ということです。
作者もこう言っている 作品の途中経過がどうなろうと、僕はラストにいれるセリフは決めていた。
サトシ「でもなんで、おれたちこんなところにいるんだろう?」
カスミ「さあ、いるんだからいるんでしょうね」
ピカチュウ「ピカ」
サトシ「ま、いいか」
ピカチュウ「ピカ」
そして、忘れ去られたようなロケット団トリオは、周りが何にもなくなっても、自分たちは生きている。
だから……。
「きれいさっぱり、いいかんじ~!」
サトシはポケモンを戦わせるポケモントレーナーであり、その頂点であるポケモンマスターになることを目指している少年である。
それが、彼の夢だったはずである。
バトルを否定するのは基本的に矛盾している。
しかし、身をもって戦いを止めに入る。
サトシは理屈が分かるほどの大人ではない。
おそらく彼は、自分の矛盾を意識していない。
自己存在の証明などという問いも分かってはいないだろう。
ただ、無意味で悲惨な戦いを目の当たりにして、体が動いてしまったのだ。
「やめろ!」
意識したのではなく、サトシはそう叫び、体が動いてしまったのだ。
ミュウとミュウツー戦いの間に入って、双方の攻撃を浴びてしまい倒れたサトシは、死ぬのではなく石化して動けなくなってしまう。
ゲームであろうと競技であろうといままでバトルを肯定してきたサトシは、無意識でバトルを否定してしまった。
サトシの行動は矛盾している。だから動けない。しゃべれない。石になるしかない。
ロケット団のニャースは、コピーのニャースに空を見上げて言う。
「今夜の月は満月だろな……」
自己存在のための戦いなんてどうでもいいじゃないか。ともかく、戦わなければ、ロケット団のニャースも、コピーのニャースも、傷つかずに一緒にのんびり今夜の月を観る事ができる。
従来のポケモンでは考えられない技なしで生身での戦いのシーンがありますが音楽と交わってすごく美しく悲しいです。ポケモンたちの涙は自分たちのしてることへの喪失感。
「この星で誰もがやってきたことをやればいい。戦いと破壊と略奪。強いものが勝つ」
「生き物は同じ種類の生き物に自分の縄張りを渡そうとはしません。相手を追い出すまで戦います。それが生き物です。」あえてポケモンと言わなかったのが素晴らしいと思いました。
伝説で温厚そうなミュウでさえ自分のコピーは許せず戦う。生き物である証ですね。