大人になってからみた「ミューツーの逆襲」は、私が知ってるポケモンじゃなかった。
昔のアニメって、作品に訴えかけるものとか、世の中にぶつけるものがあるよね。問いかけるものというかさ。サラッと言っちゃえば問題提起だ。
もちろん、今の作品だってそうなんだろうけど。
ミュウの睫毛から人間によって作り出されたミューツー。
言葉を話し、涙を流せる者は人間である。
眠ってる間にそう教わる。
この世で1番強いポケモンを作ろうと、無理矢理作り出された。
自分は何のために生きているのか。
そもそも、私は何者なのか。
ミューツーにはそれがわからない。
勝手に自分を生み出した人間を恨み、逆襲を誓う。
映画の中に何度も泣けるシーンがある。
コピーとして作られたポケモンと、本物のポケモンが戦う。
自分自身と戦うわけだ。そんなの、誰だって嫌だよね。
ニャースが自分のコピーをみて言う。
お前の爪、痛そうだニャー。
そうだよ、痛いよ。だから、本当に必要な時しか、使っちゃダメなんだよ。
痛いってわかってるのに、相手の事叩いたりしちゃいけないよね。
ピカチュウは初めから戦いを拒んだ。
でも、コピーのピカチュウは「なんでかかってこないんだよ?」って態度でピカチュウのほっぺを疲れるまで叩く。
ピカチュウはしょうがなく、力を振り絞ってコピーのピカチュウを叩くけど、目にはいっぱいの涙。
ほんとはこんな事、したくないんだよね。
戦いたくなんかないんだもんね。わかるよ。
ミュウとミューツーの戦いに決着がつくまで、ポケモン同士の戦いも終わらない。
サトシは、ミュウとミューツーの間に入って、2人の戦いを止める。
化石になったサトシにピカチュウが駆け寄るんだけど、ここで涙腺が崩壊する。
動かないサトシに、何度も10まんボルトを送って、息を吹き返らせようと頑張る。
もうさ、だめだよね。
今どきの下手な映画をみるより、断然癒される。
大切なものを教えてくれる。
この映画は良い映画だ。