Jeffrey

英国式庭園殺人事件のJeffreyのレビュー・感想・評価

英国式庭園殺人事件(1982年製作の映画)
3.5
「英国式庭園殺人事件」

冒頭、17世紀イギリス。画家のネヴィル、ハーバート夫人と娘。館の主、旅行、12日間、12枚の絵、庭園、故意か偶然か、池での死体発見。今、奇妙なプロットと圧倒的映像美が交差する…本作は1982年に製作されたピーター・グリーナウェイの長編デビュー映画であり、この度BDを購入して再鑑賞したが面白い。この長編作からグリーナウェイのアートフィルムは炸裂している。とは言うものの彼の短編映画はまだ見たことがないが、その短編映画からも圧倒的な映像美が写し出されていると言う噂はよく聞く。近々彼の作品を網羅しなくてはいけない。

この作品は、彼特有のアバンギャルドな演出に劇映画や個人映画の交差を見事に実現させた唯一無二の作品である。更にマイケル・ナイマンによる音楽が非常に美しい左右対象の画作りとマッチして不思議な感覚を呼び起こす。


本作は、冒頭から衣装と美術の美しい映像が写し出される。ある男が李を口にし、話をする。カメラはフェイドアウトしタイトルロゴが出現。続いて真っ白な衣装に身を包む女性の姿と男性の姿。1人の熟年の女性がおしっこの会話をし始める。そして画面は再度フェイドアウトし、歌が歌われキャストの名前が浮かび上がりつつある。そして2人の男性のクローズアップと会話が突如画面に映る。そして、この邸の中で複数の男女が画家ネヴィルについての会話がカットバックされていく。

そして画家である彼はその屋敷の主人が12日間留守にすると夫人に聞かされ、12枚の絵を描くようにお願いされる(報酬有りの契約)。そしてカメラは美しい庭園の描写に移り変わる。彼のスケッチブックが描写されて様々な被写体を描き始める。それは建築物であり、洗濯物、自然などである。そして彼の中のルールが声にされ1枚、2枚、3枚とスケッチされてゆく。

そしてカメラは、ネヴィルとその夫人と他の人々(婿養子、使用人)たちと晩餐をする。この時カメラが左右移動して長回しされる。ここではほとんど会話が写し出されるが、最後にカメラがロングショットになり館の中心部を映し出し、屋根の上に得体の知れない人影を捉えカットが変わる。続く描写は羊たちの群れと自然(緑)の中で絵の位置を考えているネヴィルを映す。

そこへ館の男女が現れ、彼の作風にものを言う。なぜ庭に誰も出てはいけないのだなどを聞き始める。すると彼はこの庭はハーバード氏のものだ。彼が庭を踏み荒らされ凸凹の砂利道にされたらどう思う…などと言い返す。そして2人はその場から去り、カットはピクニックをする人々の描写へ。

そして彼が絵を描いている最中に夫人(妻)がやってきて、契約は破棄させていただきます。これ以上絵を描くのはやめてください…ですが報酬は差し上げます…と彼に言う。ネヴィルはこちらに座ってください顔を日陰にと言い、彼女を誘導し座らせる。そこで2人の会話が始まる。

そしてカメラは、納屋での性行為をする男女の描写とオーガスタスと言う娘を連れて歩く父親との描写が庭の中で写し出されるのだが、ここでカモフラージュペンティングと言うのだろうか?壁と植物に同化している人間をひたすら見つめるそのオーガスタスと言う娘の視線が非常に面白く写し出されている(そのカモフラージュしている男は先ほど述べた晩餐をしている時に屋根に突如現れた得体の知れない人影と思われる)。

そしてカメラは夜の晩餐の描写に移り変わり、再度カメラを移動撮影する演出で写し出される。そんな中、先程の謎の男性が今度は真っ白に自分の裸体を染めた姿で登場し、庭に置いてあるオブジェをとって、そこに松明を片手に登り、しょんべん小僧のように自分のペニスから尿を出し始め、じっと一点を見つめ固まり始める。

そしてカットが変わり、昼の庭園に大量の羊が画面に向かってくる描写で始まる。そこで何枚かのカット割が写し出され物語はさらなる展開を見せていく……。

ある日、画家ネヴィルが屋敷の絵を描こうとしているときに、娘が現れ彼に絵の中にある秘密を暴露する。それは〇〇である。そうして彼は娘と書斎に行き、とある契約を結ぶ。そうした中、旅行に行ってるはずのハーバード氏が庭園にある池から死体で発見されるのであった…(この死体発見は物語のあらすじに載っているため、決してネタバレではない)。


さて、物語は館の主であるハーバート氏が旅行に出かけると言うことになり、主人公の画家ネヴィルはその夫人と娘と契約を交わし、館の主である彼のいない12日間で、庭園の絵を12枚描くことを契約する。そして彼は毎日同じ時間、同じ場所へ出かけ少しずつ完成へと導いていく。そして絵の完成と同時に庭の池で主であるハーバートが死体で発見されるのだ。その12枚の絵には殺人と不貞のアレゴリーが描き込まれており、主人公は死んだ主の陰謀に巻き込まれていくと言う話である。

だが、この作品は画家が推理をして犯人に近づいていくと言うストーリーだと観客は感じるのだが、やはりここはグリーナウェイ、一筋縄ではいかず、そのような展開を見せずに全く想像していた結末とはならないのだ。ここがポイントの1つである。



そう簡単に言うとこんな感じで、この12枚の絵を描く際に描く時間帯、禁止事項が発表されるのもなかなか面白い演出だ。例えば9時から11時の間はこの庭には馬や馬車等の出入りを禁止すると言う具合にだ。それと最初は左右シンメトリーで構成されていたフレームが動く被写体が、その場に現れ左右どちらかに物を置くことにより非対称に自動的になる演出も面白い。

それにしても17世紀の自然豊かな英国庭園って今もあるのだろうか?すごく空気が美味しそうに感じる映画からは。それにしたってドキュメンタリー的な画作りは当然のことながら、マイケル・ナイマンの音楽がシンプルな映像とマッチしていてかなり良かった。



やはりこの監督バロック様式に多大なる影響受けていると思う。この監督の他の作品を見てもそうだし、特に風景画や古い様式の建物や文化、歴史をフレームに収めることが好きな監督だ。劇中に出てくる主人公が鉛筆で描く絵は監督自身が描いているのか気になるところである。彼は美術学校を卒業している人だし。それにオランダ式だったりフランス式の芸術をよく勉強して自分の作品に生かしている感を感じる。結構な資料などを読んで綿密に練られている映画だと感じた。


相変わらずグリーナウェイ作品はプロットの説明を省いており、全くもって意味のわからない演出を優先して説明してくる(その説明もないが)。この作品ではわりかしそういったものは感じ取られないが、一応意味不明な人物が最後の最後まで答えを観客に明らかにせず、物語が大団円を迎えるのを見るところ、やはり彼は少しばかり不親切だろう。

だが、この不親切さがシネフィルに愛されている。ところでこの作品アガサ・クリスティっぽいミステリー映画だなぁと思ったのは俺だけだろうか?徐々に謎解きして全てが明らかにされていく展開など思いっきりそんな風に思った。


この映画スケッチされていく描写(フレームイン)の中に羊の群れが写し出されるシークエンスがあるのだが、グリーナウェイの作品ってなぜだか草食動物が多く出るなと思う。それを証明したのは次回作である「ZOO」だ。そしてふと思い返してみれば肉食動物と言うものはほぼ出てきてないような気がする。

この映画一瞬だが水草が埋め尽くす池が写し出されるのだが、その描写の自然光とのフレームがすごく古典絵画のようで美しかった。 

この映画の題名である"英国式庭園殺人事件"と言うのはかなり皮肉ったオチで観客を笑わせてくれる。なんだか「コックと泥棒、その妻と愛人」に通ずるものを感じてしまう(映画のラストのみ)。


正直、大体の映画好きな人がピーター・グリーナウェイに言及する場合は、この作品から入っていったほうがわかりやすくていいと思うって言うが、僕はそんなことは思わない。彼の作品を見るなら間違いなく「コックと泥棒、その妻と愛人」から是非とも見て欲しい。これぞグリーナウェイ入門編やろう。笑
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