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J・エドガーのodyssのレビュー・感想・評価

J・エドガー(2011年製作の映画)
4.2
【クリント・イーストウッドの円熟】

クリント・イーストウッドの映画監督としての力量が遺憾なく発揮された傑作です。

物語が過去から現在へとすんなり流れてこず、いくつもの時代が重なり合って出てくるのでやや分かりにくいところもありますが、この技法によって主人公のさまざまな側面が時代の変化などにより多様な光を当てられ、エドガーという人物の矛盾した、或いは秘められた色々な部分が相互に自己主張をしたり掣肘しあったりして、きわめて重層的で深みをおびた人間像が浮かび上がってきます。

主人公を囲むようにして、母親、秘書、右腕となった男などが、いわば太陽を囲む惑星のように動き回り、太陽は惑星によっても影を与えられ、また軌道に影響をこうむっていく。その相互影響の描写が見事。

また、分からない部分はそのままに、いわば放置されて、無理な説明はしていない。例えば秘書との関係。彼女が男に、或いは少なくともエドガーに異性としての魅力をまったく感じない女だったのか、それともそうではなかったのかは、よく分からないままです。

リンドバーグ子息誘拐事件もそう。犯人として逮捕された男について、その証拠はそれなりに挙げられていますが、容疑者の表情はあくまで自分の潔白を主張しており、FBIによる証拠提示と容疑者の表情はついに折れ合わないままに終わっています。現実とはこのように解明されないままに終わる部分が必ずあるわけで、この映画はそうした箇所は無理に物語として一本化した解釈に拠らずに、あえて表面的な描写に徹しているのです。

エドガーが自伝を残そうとして、作家を雇い口述筆記をさせながら物語は進みますが、最後に、自伝という形式の偽善性というか、自己正当化の手段でしかない自伝の限界も提示されており、それはもしかしたらこの映画で明らかにされなかった部分についても同じようなことがあるかもしれない、人生の事実関係は後世には分からないものなのだ、という認識にまで至らせてくれるのです。

以上のように、この映画は映画監督としてのイーストウッドがきわめて充実した円熟の境地に達していることを示すものと言えるでしょう。

また、映画内に出てくる事件や情報には、へえ、そうなのか、と思える部分が結構ありました。F・D・ルーズヴェルト大統領の妻であるエレノアが不倫を働いていたというところなどはその一つ。彼女が夫の政策にも影響を与えたことは有名で、また夫のほうが秘書と不倫していたことは知られていますが、妻のほうも同罪(?)だったとは知りませんでした。
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