一生懸命頑張っていたら、いつか必ず幸せが訪れるからね。辛いこともあるけど、そんな時は青空を見上げて、気分を前向きにね。
みどころ:
モダンで成熟した脚本
軽妙で親しみやすい演出
カリカチュアされた人物達
蝶々夫妻の関西弁が心地いい
秒で泣かせる沢村貞子の後ろ姿
あらすじ:
有子は伊豆の田舎で祖母に育てられたが、今際の際の祖母曰く、お前は妾の子だと。
身寄りが無くなって上京した有子は、裕福な父栄一の家庭に入ったが、待ち受けていたのは歓迎ではなく、継母達子一族による強烈な虐め。父はなぜか寵愛してくれるが、同時にイビリもエスカレート。
それでも有子が明るく頑張れるのは、まだ見ぬ実母町子との邂逅を夢見ているから。果たして有子は、この地獄から抜け出すことができるのか……。
いわゆるシンデレラストーリーかと思いきや、家族や信念を主題にした普遍的なヒューマンドラマ。おもしろキャラたちのポップなやりとりでカムフラージュされてはいるものの、利己性に対する追及は凄まじく、その分クライマックスのカタルシスは半端じゃない。
というのも、通常こんなお話が迎えるエンディングは、「有子だけ幸せになって継母一家がほぞをかむ」洋画的ハッピーエンドか、「この世は不公平なので有子は救われない」邦画的バッドエンド。ところが監督は、両古典に潜むご都合“甘さ”をシャットアウト。「有り得ないけどまぁ映画ですから。」とか「わかるわかる現実は地獄だよ。」とか、実生活の慰めにしかならないフィクションは、甘いばかりで還元できないというわけです。
この古典的“甘さ”の権化として、物語で槍玉に挙げられるのは、なんと父栄一!やり手社長でありながら紳士的で、妻子を怒鳴り散らすわけでもない、端から見れば栄一は理想の主人。なのに、何度謝っても一回きりの不倫を許してもらえず、家族からは総好かん。一見可哀想にさえ映ります。ところが、実は自分を可愛がっているだけの人物であることが、徐々に露呈します。
有子「どうして結婚していたのにお母さん(町子)と関係を持ったの?」
栄一「達子とは無理やり結婚させられたんだ。本当に愛していたのは町子だけさ。」
有子「ならどうして愛していたのにお母さん(町子)を捨てたの?」
栄一「お父さんが、若かったからさ…♪(遠い目)」
有子「あたしもう伊豆に帰るわ。その方がみんな幸せだもの。」
栄一「みんな?有子がいなくなったらお父さんは幸せじゃないぞ?お前と過ごす時間だけが幸せなんだ。お父さんをかわいそうだと思うなら残っておくれ。」
達子「有子は町子さんそっくり。あなたは未だに町子さんが好きなのよ。有子を追い出してください。さもなくば私たちが出ていきます。」
栄一「無茶を言うなよ。有子のことについては、私が何度も頭を下げて、君も納得の上だったじゃないか。」
…というわけで、全くもって他者と対峙していないんですね。言質を取ったり下手に出たり、相手を自分の思い通りに操作しようとしているだけなのです。いやぁ男は耳が痛いですな…。
もちろん、甲斐性や気骨は誉むべきものですが、だからと言って身勝手が許される道理なんてありゃしません。人間関係はポイント制ではないんですねぇ。大体、小学生の息子に「僕の夢はねぇ、お父さんとお母さんが仲良くて、ご機嫌をとらなくても優しくしてもらえる家庭なんだ…。」と言われるようでは、自負している大黒柱とやらも真っ二つですわな。その上、唯一味方だと思っていた娘に「お父様、寂しいの?辛いの?それ、全部お父様のせいなのよ。お父様が嘘だから(=言ってることとやってることが違う)よ。(問題に対して)本気じゃないからよ。」なんて喝破された日には、再起しなきゃ親失格でしょう!
それに比べて、祖母の育て方も良かったのか、苦境でも腐らない強さと人を憎まない優しさを兼ね備えた有子の姿勢たるや、まさに曇り無き快晴♪ただの能天気ではなく、闇を打ち払った光だからこそ人々を照らすんですねぇ♫照らされた人々がまた有子を照らし、その心はますます晴れやかになってゆくわけです。
この「奇跡はふさわしい人物にのみ起こる。」という監督のメッセージは、ハード過ぎて一度に得られる共感数は少ないでしょうが、刺さった観客には生涯良い支えになることでしょう!
とにかく、気分が落ちたら青空娘!
これです☆