愛のある映画

少年は残酷な弓を射るの愛のある映画のレビュー・感想・評価

少年は残酷な弓を射る(2011年製作の映画)
4.0
全編余すことなくティルダ・スウィントン。
演出は終始不気味なのに音楽はほぼ常にポップスでより異質な雰囲気。あんなに無意味なLast Christmasがかつてあっただろうか。さらに全編を彩るのが多様な色彩。冒頭やトマト缶やペイントの赤、壁に塗られた青のペンキや黒の飛沫、卵や壁の黄やシリアルの色などなど。これは監督の感覚なんだろうか。そしてケヴィンが美少年なんだなあ。ここがポイントなんだろうけど。このケヴィンが基本的に白のTシャツやシャツを着ていることが多く、周囲の人間や環境とは違い、彼だけは純潔であることを観る者に示唆する。
パッケージでは「生来的な母親に対する敵意」を強調してたような気がして、自分自身そこをベースにストーリーを読んでいったけれど、結局のところ偶然主人公が母親であっただけで、父親視点でも保護者という点においてはストーリーが成立したことも考えられたと思う。つまりケヴィンの持つ「敵意」は母親だけでなく父親にも時折向けられていて、かつ敵意より「悪意」の方が妥当な気がするのでこれに関してはちょっと的外れなイントロダクションかなと思った。
邦題のセンスに惹かれる節がある。「聖なる鹿殺し」とか「孤独なふりした世界で」とか。「少年は残酷な弓を射る」ってものすごいセンスというか感性を感じる。本編を観ると確かにそのまんまなんだが。子供は残酷だ、などと分かったようなコトを言いながら大人を嘲笑い突き放し、そしてあらゆる人間を地獄に落とす。
「意味なんてないよ。そこがいいんだ。」
このセリフこそ、この映画の核心だと思う。理解などできない。されない。されなくていい。どうせ誰もが、無意味なんだから。食も無意味。人も無意味。自慰もセックスも無意味。そんな息子を理解しようと精一杯の努力を続けてきた母親は過去に捕らわれ続け、そうしてついに愛する息子を手放す決心をする。少年の残酷な弓が射ったのは、果たして何だったのだろう。