Sen

LOVE MY LIFE ラブ マイ ライフのSenのネタバレレビュー・内容・結末

LOVE MY LIFE ラブ マイ ライフ(2006年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

これはどこかでしっかりレヴューを書きたいと考えています。僕が観たなかで、もしかしたら、一番好きな映画かもしれません。

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平たく言うと、これはセクシュアル・マイノリティの話だ。そして、とても幸せな映画だ。

朧げな記憶だけれど、たしかこの映画はセクシュアル・マイノリティ関係のカナダかどこかの映画祭で賞を取っている。イシューの問題はこの映画には欠かせない要素だ。しかし、この映画は、マイノリティの不幸や困難を描くよりむしろ、その人たちが当たり前のように幸せに生きることを肯定している。それもあっけらかんと、まるで「普通」の映画と同じように。

もちろん、差別の影はくっきりとある。偏見の目を恐れ、教室に飛び交う悪気さえないヘイトを目の当たりにし、自分をあらわすことがこんなにも難しい。この手の差別に驚きをもし覚えるんなら、そもそも現実社会を見てみればいい。セクシュアル・マイノリティの存在はさも無かったことにされ、そうでなければ「いてもいい」みたいなウエメセ丸出しで、どうやってこんな国で人権を語れるんだって状況だ。そうでなくともジェンダーギャップ指数は先進国としてとても許容できないような順位を頂いていて、挙げ句の果てに某首相が復古主義的な改憲草案を前面に掲げている。一部の自称リベラルはそんな政治を目の当たりにしてるってのにセクシズム丸出しの過去の政治を「多元主義」だの「真の保守」だの言って褒め称える。

それでもなお、究極的には、誰だって個人だ。幸せになる奴は勝手になる。色んな困難を前にして、そりゃちょっとは社会なるもののルールから乖離しつつ。当たり前のことだろう。笑いはある。涙はある。怒りだって。そう、ここには全てがある。なのに、どうしてお前は差別を前提に見始めたんだ? この映画が振るうのは、とりもなおさず、この社会で生まれ育ったが故に逃れようもなくセクシストであるあなた自身に対する暴力だ。幸せなツラをしてこの映画は殴ってくる。「何か文句でも?」

忘れてはならないのは、誰だって、自分自身のあり方について、他者の承認を要するということだ。安易な「個人」主義者は単純に孤独を語るが、しかし思考も判断も、全ては言葉に依る以上他者に依存するし、そもそもこの世界で文字通りたった一人で生まれ育った奴なんていない。何よりすでに、我々は他者に理不尽に殴られる経験を知っている。政治哲学者の尾田栄一郎の言葉を借りれば「恋はいつでもハリケーン」だ。それは突然やってきて、大地をひっくり返し、家を薙ぎ倒し、作物を荒らす。人間の条件を根こそぎにする。そんなもんだろう。共役不可能なその存在を、どうしてあの人たちだけ奪われなくっちゃならないんだ。その人たちに認められること。生きることそれ自体にこの映画の射程がある。それはただ、本当の本当に、我々の知る「当たり前」を描いたがゆえだった。

観てみればいい。当たり前のような幸せなその表情は、本当に当たり前なんだけど、その人たちが我々と同じ存在であることを語っている。当たり前過ぎて話にならないが、だけれども、それをいちいち思い出さなくちゃいけないくらいには、21世紀初頭はイルなわけだ。



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そのうちちゃんとレヴュー書きます。
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