蛸

赤い河の蛸のレビュー・感想・評価

赤い河(1948年製作の映画)
4.2
オープニングや幕間に挟まれる本をめくるショットは、この物語が代々伝承されてきた昔話であるということもあって効果的です。だからこそ物語はとても規範的な父と子の対立を描いたものなのです。(二人は実際の父子ではないので、終盤に現れる女性が母の役を演じます。)
映画はダンソンの、愛する女との別離から始まります。彼は愛情というものが欠落した人間として描かれます。
牧場が14年かけて栄えていく様子を、これからの牧場の展望を語るダンソンのナレーションとともに、一気に語りあげるスピード感。映画全体にわたって停滞感がほとんど感じられません。なにしろ9000頭の牛が画面の中を移動している様子が画面の中に延々と映し出されるのですから。
出発のシーン、仲間のカウボーイたち全員の顔のアップのショットが連続するこのシーンは、後に起きる仲間割れとは対称的です。
強情なダンソンは人の言うことを聞き入れません。厳しい父と優しい息子の構図は映画の半ばまで繰り返され、マットの提案が却下されるシーンが続きます。
父を超克しようとする息子は、ラストにおいて父との和解を果たしますが、その場面で女性が果たす役割はとても大きなものです。二人の仲を取り持つ女性は母であり女であり、と過剰な役割を担わされており、その意味で非常に男性映画的だと思いました。彼女は、冒頭でダンソンが別離した女性と対称的な存在(インディアンに殺されるか、あわやというところで救われるか)ですが、腕輪の存在が二人の間の相同性を保ちます。
「大暴走」の牛の波が延々と流れていくような迫力のあるシーンや、撃ち合いのシーンなからラストの殴り合いに至るまで(往年の西部劇的な「げんこつアクション」ですが)とてつもない躍動感があります。
後年の『リオブラボー』的なライフルを投げて渡すアクションなど、ホークスの停滞感を感じさせない演出が見ていて気持ちがいい作品です。
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