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『キスを叶えて』に投稿された感想・評価

シチリア祭り(6)

イタリア版DVDにて。劇場では公開されていないはず。2011年のイタリア映画祭にて上映。

ロベルタ・トッレといえばヴェネツィアで観た『Sud side stori』(2000)が頭にこびりついている。、題名からわかるように『ウエスト・サイド物語』(1961)のパレルモ版ミュージカルだり、移民の娼婦とプレスリーに憧れるパレルモの兄ちゃんによる「ロミオとジュリエット」話。あまりにも面白かったのだけど、けっきょくは日本に来ず。でも、彼女のデビュー作でマフィアをテーマにしたラップミュージカル『死ぬほどターノ』(1997)が、2001年のイタリア映画祭で上映されたんだよね。

ロベルタ・トッレはミラノ生まれのミラノ育ちで、映画の勉強もミラノでしたひと。ところがシチリアに魅了されて1990年から2003年までの13年間をパレルモで過ごし、一人息子も授かったという。その後はどうやらローマに居を移したというのだけど、この映画は彼女が七年ぶりぐらいにシチリアに帰ってきて撮影した物語というわけ。

けれども、トッレが帰ってきたのはパレルモではなくてカターニア。シチリア第二の都市と言われる町。トッレの知り合いのカターニア出身の作家オッターヴィオ・カペッラーニによれば、パレルモとカターニアは深淵によって隔てられた別々の世界なのだという。「パレルモ人は性格的に死に向いがちで、すごく暗い。彼らのアイロニーは闇や暗黒に結びついています。けれどもカターニア人はずっと軽やかで、むしろ生きることや、女、エロス、欲望に結びついているのです」(https://nuovocinemalocatelli.com/2010/09/01/intervista-a-roberta-torre-domani-a-venezia-con-i-baci-mai-dati/)

そんなカターニアに通いながら、あるときトッレは街の郊外にある新興住宅地区リブリーノを紹介される。それは1970年から72年にかけて丹下健三がデザインした都市計画。「6万人の住居者のための公共住宅、学校、緑地計画、病院、新しい大学施設、 市の中央と住宅地を結ぶ循環道路、鉄道、バスの整備等、当時のイタリアでも最大規模の郊外住宅地区の都市計画であったが、建設工事はしばしば中断され、現在も多くの建物が未完のまま放置されている」という。(http://artonline.jp/librino/indexJ.html)

トッレ監督は、この放棄されたままで貧しい人々が不法に占拠している街は、「形而上学的な場所」だという。まるでシチリアではないようなモダンな外観でありながら、生きている人々はその土地に縛り付けられている。かつてパゾリーニが、ローマの新興住宅地であり貧民が集まって暮らしていたボルガータに命の輝きを見たように、トッレもまたこのリブリーノに同じ輝きを見ようとしたのかもしれない。

その意味で、この映画はどこかパゾリーニの『マンマ・ローマ』(1962)を思い出させる。そしてあの宗教的な後光に包まれた娼婦マンマ・ローマの依代となったアンア・マニャーニに相当するのが、ここでは「小さな聖人」となる娘マヌエーラの母リータを演じたドナテッラ・フィノッキャーロなのだ。こんな生き生きとしたエロティックな彼女の姿は初めてだ。いや、マニャーニには負けるだろうけど、いい線言っている。

そんな母リータの娘マヌエーラを演じるのがカルラ・マルケーセ。カターニアのミステルビアンコ出身の13歳。500人のオーデションで選ばれたというだけあって、その目がよい。その濁りのない眼差しは、聖母がほんとうに語りかけているように感じさせるものがある。その表情と、そのぽっちゃりしたほっぺが、この映画ではじつにフォトジェニックなのだ。

というのも映画のタイトルは「もらえなかったキス(I baci mai dati)」。少女マヌエーラは、そんなに愛らしい肌をしているのに、本当に欲しいキスをもらえずにいる。だからこそ、オーデションで選ばれたカルラの顔のアップが映画の鍵となる。なにしろ聖母マリアの声を聞いた奇跡により、この地区の「小さな聖人」となった彼女の面持ちは、人々がみずからの悩みを打ち明けるにふさわしいものでなければならない。ただ服装を、神父の指示に従って、それらしいものに着替えさせるだけでは足りないのだ(とはいえ、映画では着替えさせるところが笑えるのだけど...)。

この「小さな聖人」というのは、デ・シーカの『自転車泥棒』でも重要な役割を果たしている。お金がないからこそ、なけなしを小銭を払って神頼みをするのは万国共通なのかもしれない。だから、それまでリブリーノという街の美容室でタロット占いをしてきたヴィオラは、マヌエーラという「小さな聖人」の出現によって、しばらく仕事がなくなることになる。このヴィオラを演じているのが、ピエラ・デッリ・エスポスティ。彼女の存在感もまた記憶の残る。原色のけばけばしい美容院で、女性たちの頭を、外だけじゃなくて中も整えてあげているのよと、じつに大袈裟な演技で、それでいてゾッとさせるようなリアリティのある美容師ヴィオラのシーンは、『死ぬほどターノ』や『Sud side stori 』を思い出させてくれて、じつにロベルタ・トッレ節が炸裂する場所。

そうそう、このデッリ・エスポスティという女優さん、じつはマルコ・フェッレーリの『ピエラ、愛の遍歴』(1983)の原作者であり、ピエラその人なんだよね。

触れておかないいけないのが、「奇跡」について。デ・シーカの『ミラノの奇蹟』をもじって「カターニアの奇蹟」と書いた評論もみかけるほど。では、その「奇跡」をロベルタ・トッレはどうとらえているのか。彼女は言う。「この映画ではふたつの奇蹟が起きるの。世俗的な奇蹟と本物の奇蹟がね」

それはカトリック的な意味での「奇蹟」ではないという。それでもトッレは自分を「信じる者」だという。実際、彼女はリブリーノの人々とのインタビューのなかで、奇跡に触れた人がたくさんいたという。そして、トッレはそれを決して否定しようとはしない。

そう言う意味で、トッレはフェリーニに近いのかもしれない。ソッレンティーノもそうだ。カトリック的な奇蹟や、マスコミが騒ぎ立てる奇蹟を、どこか疑いの目で見ながらも、それでも信じないわけではない。そこは、マルコ・ベロッキオとは違う。オルミのように信じているとまでは思わないけれど、トッレのそれはもっと、土着的な感覚なのかもしれない。

それはちょうど、スーパー8で撮ったというオープニングのあの視線。リブリーノの広場に降り立ち、除幕式を待つマリアがベールの向こうから注ぐ視線。それのかすかな視線を感じる感覚が、ロベルタ・トッレにはあるというわけだ。