Jeffrey

聖なる酔っぱらいの伝説のJeffreyのレビュー・感想・評価

聖なる酔っぱらいの伝説(1988年製作の映画)
3.5
「聖なる酔っぱらいの伝説」

〜、最初に一言、この作品はファンタジーとリアリズムが絶妙に混じりあった魅力を放つ、謎が解決されないミステリアスでサスペンスに満ちたオルミの不思議な放浪の出逢いと再会への旅である。アンゲロプロスの「霧の中の風景」を差し置いて金獅子賞受賞したのは納得できないが、これはこれで秀作だろう〜

冒頭、パリ、セーヌ川の橋。老紳士にお金を貰ったスレジア出身の炭鉱夫。今は放浪者、トンネルでの寝泊まり、教会と神父、昔の恋人と友人との再会、不思議な出来事、酒好き、約束、借金、死への誘い。今、アンドレアスは教会へ駆けつける…本作は1988年にエルマンノ・オルミが監督、脚本を務めた(トゥリオ・ケツィクも執筆)伊、仏合作映画で、この度BDにて再鑑賞したが、素晴らしい。本作は第45回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞し、あのアンゲロプロスの「霧の中の風景」らを押さえて射止めた作品だが、当時の審査員長が同じイタリア作家セルジオ・レオーネが務めてる分、縁故とも言えなくもないが、どうなんだろう。因みに霧の…は銀獅子賞を受賞してる。本作はオーストリアの作家ヨーゼフ・ロートの原作を元にオランダ出身のルトガー・ハウアーが主役をしている。やはりダンテ・スピノッティの撮影は凄くいい。

今思えば、いつも故郷の北イタリアのロンバルディアを舞台にしている彼が、パリを舞台にして、さらにスターを起用するなんて正直驚く。監督の12本の長編劇映画の内、ロッド・スタイガー主演の「そして1人の男、来たりて」とこの作品だけだろう。しかもオリジナル版が英語と言うのも今回が初めてじゃないだろうか。それに面白いことに、「木靴の樹」ではバッハの音楽を使い、「偽りの晩餐」ではテレマンの音楽が効果的に使われていたが、本作ではバレー音楽"火の鳥"と"春の祭典"で知られるイゴール・ストラヴィンスキーの組曲第1番アダンテ(メインタイトル)とクラリネットソロのための3つの小品が使われていた。

本作は冒頭に、石階段を傘を持った老紳士が降りてくる。彼はハットをかぶりメガネをして手袋とマフラーにコート姿である。カットは変わり、彼の目線の風景。ここは港町で船が汽笛を鳴らし河を進んでいる。落ち葉がひらりと落下する。そこに酔っ払った男が石階段を降りる。すると紳士の男性が外国人だね、道を教えると言う。そして君に大事な頼みがあると伝える。酔っ払いの男は俺に頼み事?と言い返す。紳士服の男は彼に200フランを渡す。そして会話が続く…さて、物語はパリ、セーヌ川の橋の下で、その不思議な紳士は、そこを住処にしている1人のルンペン・アンドレアスを選んだ。アンドレアスはスレジア出身の炭鉱夫だったが、友人の妻カロリーネをめぐって、その友人を誤って殺してしまい、投獄されると言う過去があった。アンドレアスは不思議な紳士から思いかけず200フランと言う金を貸してもらうことになる。条件は1つ。いつか金を返せる時が来たらバディニョルの聖テレーズの像のある教会へ行き、ミサの後に神父に返して欲しいと言うものだった。

信頼された喜びにアンドレアスは必ず約束を守ることを誓う。それから彼の身の上に奇妙なことが起こり始める。ワインを飲もうと立ち寄ったカフェで仕事が見つかったり、買った新品の財布の中に紙幣が入ってたり、若いダンサー、ギャビーと出会い、恋のアバンチュールを楽しんだり。幸運が次々と舞い込むのだった。"聖なる酔っ払い"アンドレアスは、不思議な紳士との約束を果たすため、日曜日ごとに教会に足を運ぶが、その度にカロリーヌと会った昔の仲間に再会したりで、なかなか果たせない。日々の細やかな奇跡に感謝する一方で、アンドレアスは未だに返せないでいる借金に心を痛める。そして、風の強い3度目の日曜日。今度こそ200フランを返そうと、アンドレアスは教会へ駆けつけるのだが…と簡単に説明するとこんな感じで、「偽りの晩餐」でもベネチア映画祭の金獅子賞を受賞したオルミが最高賞を手に入れた酔っ払いの物語である。


いゃ〜、どうしてもアンゲロプロスの最高傑作の1つ「霧の中の風景」を超えるほどの作品で、金獅子賞受賞した作品だと思えない。確かにこの作品はこの作品で良いのかもしれない(私個人は普通なのだが)、だご先ほど述べたように審査員長がイタリア人と言うことでイタリアの作品を受賞させたと深読みはしてしまう。まぁいくらこんなこと言っても事実は変えられないしこの辺でやめとくが、この作品を見ると、なぜ放浪者になったかと言う理由が、偶発的な事故に近い殺人を犯してしまった彼がその罪から酒を飲んでホームレスになり現在のホームレス生活をしていると言うのは物語を見ていると説明されるのだが、真意は一体どうなんだろうと言う思いもある。そもそも勝手な偏見かもしれないが、ホームレスになった男性にお金を貸して、ホームレスがそのお金をきちんと返すと言うのは夢物語に近くて非現実的である。しかしながらこの作品はそうではない。

どこかしらミステリアスな雰囲気が濃くなっていくにつれ、主人公の男が次第に死に向かっていくと言うサスペンスが醸し出されている分、観客は先がどうなっていくか少し興味が湧くのだ。実際物語を見ると、返済しようとし続ける主人公の男が返済直前の大切なお金を友人にやってしまったりという事柄も可笑しい。その偶発的な殺人による罪の意識が自ら選んだホームレスと言う人生で罰を受けているのだろうか、映画は次から次えと彼に訪れる奇跡な出来事を1つずつ丁寧に描いているが、それは幸運でもありながら、死期を早める結果としても進んでいる。何が言いたいかと言うと、彼の周りに起きる奇跡的な出来事は実は不運であり、借金の返済が近づくにつれ、彼は天国へと近づいているのである。これは重複する逆説の上に成り立っている作品とも思える。オルミと言う映画作家は寓話的な謎に秘めた映画を作るのが好きなようで、この作品は最後の最後まで謎に満ちた映画だった。

この映画がベネチア国際映画祭で評価された要因の1つに私個人が思う事は、いちど人生を捨てたホームレスが不意にもらったお金によって、とあるきっかけを手にすることである。それはいちど捨てたはずの女性や友人たちに再会すると言う話だ。これがまず奇跡の1つである。そう、この映画を見ながらふと思ったのだが、新宿に行けば高架下には段ボールを引いた乞食が日本でも多く見かけられる。彼らは世捨て人となり、人生に一種のピリオドを打ち、物乞いとして生きることを選ぶ。ではなぜ都会の喧騒たる街中で生きようとするのだろうか、通行人からは嫌な目線で見られ、電車の通る音、絶え間なく人々が行き交う道で生きると言う生活、それは、人との関わりを完全に断ち切らないための選択なのだろうかと思った。本作の主人公は薄暗いトンネルの中で生活をしていたが、人と言う人との関わりは一切描かれていなかった。紳士にお金を渡されて初めて人間との関わりを持てたのだ。

いわばいちど止めた人生、第二の人生を歩めたのだ。かねてから監督は他者との関わりが持つ意味の重さについて描いてきた。それはパルムドールを受賞した「木靴の樹」もそうであるし、「偽りの晩餐」もその他もだ。そこで、これは木靴の樹の小作農の一家が街を地主に追い出されてしまい、荷馬車で闇の中を去っていき、都会へとやってくるクライマックスを見た自分としては、このルトガー・ハウアー演じる男は、監督の故郷であるベルガモ地方の農民で、もしかしたらそうやって町を追われてしまってたどり着いた放浪先がパリの街であり、放浪者として生きていたんじゃないかと言う位置づけも無理矢理作れば出来上がるだろう。さて、ここで原作者のヨーゼフ・ロートに対して少しばかり言及したい。

彼は放浪の作家と呼ばれ、1894年に生まれ、1939年に死んだ。わずか45歳の生涯だったらしく、彼は友人にアルコールは命を縮めるかもしれないが、しかし毎日のように自殺の衝動に駆られる中で、少なくとも目の前の死は阻止してくれる。そんな唯一の心優しい味方なのだと言っている。これは多分第二次世界大戦の中で様々な経験をした故の発言だろう。そして彼は酔っ払いながらも美しい文体で物語を書いていたそうだ。そして、酒量が上がるとともに健康が急速に悪化し、39年4月2に"聖なる酔っ払いの伝説"を書き上げ、5月23日にホテルの玄関を出たところでばったり倒れ、4日後に死んだそうだ。ちなみに奥さんであったフリーデリケはナチス政府の制定による遺伝病防止法を適用されて、翌年、リン ツ郊外の病院で殺されたそうだ。死後しばらくして、オランダに亡命中のドイツの出版社から"聖なる酔っ払いの伝説"が発行され、100ページあまりの小さな本で、白い表紙に淡い青色で、聖女テレーズの小さな肖像がうっすらと浮き出ていたそうだ。

話は物語に戻して、ルトガー・ハウアーはプロの役者だが、監督自身プロの役者を非常に毛嫌いしている作家と認識していたが、この作品では、あえてプロの役者を選んだ理由が知りたいものだ。もともと原作のある映画を撮った事なかった監督が既に存在する作品に束縛されるのが嫌いだからやりたくなかった原作物を監督した理由の1つに、この映画の脚本を担当したケツィク夫人が、この小さな本を持ってきて一気にこれを読んで心揺さぶられたらしく、これがきっかけに映画を撮ろうしたら、チクットと言う若い映画プロデューサー自体が以前からこの企画を温めていたので、映画化が実現したとのことだ。そういえば老紳士役のアンソニー・クエイルは翌年の89年に死去している。そういえばこの作品でストラヴィンスキーの音楽が使われているのは何か意図的なものがあるのだろうか?

印象に残ったシーンは、フランス語を話したり、英語を話したり、イタリア語を話したり語源が混在しているシーンが非常に魅力的で、片方がフランス語で話して、相手が英語で話す場面などは印象に残った。というかもはや職人である監督がこのような演出を許したというか、自分自身の作品に取り入れたのにも驚く。それに、主人公が酒を飲みながら自分が近いうちに死ぬのではないかと言う自覚したあたりの場面や、女性とのレストランでの会話なども印象的だ。そして彼が風呂場に入って泡を立てている場面での肩に小さな刺青が入っているのも印象的(彼自身の刺青だと思う)。それに、ルトガー・ハウアー演じるアンドレアスが理容室でヒゲを剃ってもらう場面もなんてことないしいんだけどなぜか印象的だった。冒頭の紳士が階段から降りてルトガー・ハウアー演じる男と会話をした後に別れ、男(主人公)が、トンネルに行く際のトンネル内の赤みがかったライトアップがすごく幻想的だ。 

どこかしらSF映画を見ているかのようなワンシーンだ(多分、ルトガー・ハウアーがブレードランナーに出ているからSF役者と言うイメージがちょっとばかし自分の中にあるからかもしれない)。複数のルトガー・ハウアーのクローズアップがあるんだけど、彼のブルーな瞳が凄く綺麗。あとどうでもいいんだけど一瞬子供の自転車に乗ってる可愛らしい男の子とハウアーが対面する場面が記憶に残る。まだ未見の方はめっちゃオススメって言うわけではないが、悪い作品ではないので気になった方は見て良いかもしれない。
Jeffrey

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