茉河ユウ

荒野の七人の茉河ユウのレビュー・感想・評価

荒野の七人(1960年製作の映画)
3.1
監督のジョン・スタージェスの作品は『大脱走』を観賞済み、脚本のウィリアム・ロバーツ、ウォルター・バーンスタインの作品は共に初見です。
そして何より、オリジナルである『七人の侍』も観ていない体たらくであります。

もうね、キャラ萌えですよキャラ萌え。
顔面もセリフ回しも偏差値高すぎですよ!
オライリーの「今は大金だ」にいい奴さを感じたかと思えば、クリスの「勝つのはいつも農民だけ」にガンマンの無常を垣間見たり、ラストのあいつとの「アディオス」も最高(あの場面では訳が出ないんですけど、それでよかったと思える場面に出会ったのは初めてかも)!
なんかもうね、あの映画はキャラの顔面とセリフのダンディズムに酔いしれるためのものですよきっと!


…少し真面目な話をしましょう。

異端の人物が現れて何がしかの危機を救う、いわゆる『ヒーロー物』、この昨今においても結果的には上記の内容に帰着するものの、国内・海外、ドラマ・映画を問わず、そこに至るまでの葛藤に大きく時間を割く作品が増えました。
具体例を一つ挙げるなら、いわゆる勧善懲悪の形式をことごとく壊し、『正義とは何か?』『この行為は果たして善か?』などの、ヒーローとしての生き方を自身の葛藤を通じて問い直す作品が最近は増えています。かと思えば『ガッチャマンクラウズ』のように、『SNSによる人と人との連携によって誰もがヒーローに等しい能力を持ちうる時代に、少数精鋭の特殊能力者には存在意義などあるのか?』といった、ヒーローと周辺社会との関係性へ問いを投げかける作品もあります。
とにもかくにも、ヒーローの役割を担う人物がある行為に至るまでの過程にドラマを作り、そこで盛り上げる作品が増えたのは事実だと思います。

その点この『荒野の七人』、ヒーローの立ち位置を担うガンマン達が村の為に立ち上がるその動機が清々しいほどに単純明快。
つまり、「困ってるんなら助けるっしょ!」という動機に基づく『救助』こそが自分達のできることである、という役割を認識して、そして衒いなく行動に移している。今見ると余計にその単純さに懐かしさもあいまってスカッとする思いです。

また、昨今のヒーローは葛藤こそするものの、一度周囲に存在が認知されるとめちゃくちゃ周囲にもてはやされたりします(『アイアンマン』とかまさにこれ)。
しかしこの作品におけるガンマンの立ち位置はあくまで『異端』。村を追い出されこそすれ、定住を望まれることはありません。『歓迎されない者の孤独』というテーマはいささか全時代的過ぎやしないか、といった感もありますが、周りと違うということは得てして理解されがたいものです。
そして、そうして腫れ物として生きてきたからこそ『真っ当に生きる人=普通の人=農民』の難しさと尊さ、強さを知っている。彼らの境遇から生まれる他者(主に子供たち)への眼差しはとても優しく、その優しさが余計にガンマンの孤独を引き立てます。うん、この作品、普通にいいな(失礼の極み)。



銃撃戦に顕著な娯楽性と、キャラクターの葛藤から発される芸術性が抜群のバランスに配合されており、様々な切り口で語ることができる作品だと思います。本当に半世紀以上前の作品なのかよ……ナメてた……
でもね、この作品はとにかくキャラ萌え要素ですよね!僕はヴィン役のスティーブ・マックイーンが推しメンです!
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