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いま、会いにゆきますのkerokeromanのネタバレレビュー・内容・結末

いま、会いにゆきます(2004年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

まず、竹内結子が尊すぎて辛い
なんでや…って思ってしまう

そして、そういやもともと結婚してたの中村獅童だったよな、と

この時の二人にはその後起こることなんて一ミリも想像なんてできていなかっただろうなと思うと

色々と切ない

映画本編には全く関係ないことではあるのだけれど



で、本編に関しては全体的にこの頃によく作られていた“感動させることに全振りした映画”だろうと思って舐めてみてたけど、意外と映画本編はしっかりと作られていたし、撒きまくった伏線もどうせ回収せぬままうやむやで終わらせるんだろうと思ってみていたけど、きちんと綺麗に丁寧に回収してまとめていて、そこは予想を大いに裏切られてよい感じだった

ただ、重箱の隅をつつくようなことを言うのであれば、
まずなぜ記憶を失っていたのかがよくわからない
息子が分からないのはそりゃそうだが、自分の名前も中村獅童もわからないのはなぜか、もちろんこれがあくまで事故にあった竹内結子の脳内でのできごとということであれば、もちろんナンデモアリだから、そういう意味では説明はつくのだけれど、冒頭と最後に挿入された現代の時間軸では竹内結子は亡くなっており、雨の季節に帰ってきたことは“真実”として描かれている

同じようになぜ、雨の日が終わると帰らなくてはいけないのかも謎
帰らないという選択肢をとることだってできなくはないのでは?
と思ってしまった
そもそもなんで絵本に書いたことが実現できたのか?
その辺も良くわからない
そしてこれも昏睡状態の脳の出来事だといえば勿論説明は可能である

また更に、自分が死ぬことが分かっているのにその死に対しての疑問を抱こうとしていないところも気になる
そして死ぬことが分かっているから日記と手紙を遺したのだとしたらそれはあまりにも対策として正しいこととは言いにくく、もっと何かをしたり備えたりできるのではないか?という不自然さが残る

何が問題かというと、『現実』が
①冒頭と結末の竹内結子死後の世界
②雨の季節に竹内結子が帰ってきて再度いなくなってしまう世界
③中村獅童を追いかけて事故に遭い、昏睡状態のなか②の世界に行き、戻ってきた世界

と三つあって、それをすべて正としてしまうと、③の後の竹内結子があまりにも②の“竹内結子”の行動をなぞりすぎている(未来が分かっているのであればもっと効果的な手立てを打ったり、周囲、少なくとも夫にはもっと直接的なアクションをするのが普通だと思ってしまうのである)

②の世界があまりにもご都合主義満載なので、あくまでもあれは昏睡状態にみた夢のようなもの、として夢オチ的な位置づけにし、正しい『現実』は③のみ、としないと説明がつかない

なのに、②の後日談である①が物語の前後に挿入されていることで②は③の後に実際に起きたこと、となってしまう

個人的には①の冒頭と結末部分は蛇足で、自分が死ぬ未来は見たけれど、それを再度選ぶけれど、どうにかしてそれを回避していきたい(そうなるとは限らない可能性に賭けたり、対処したり)、という形で納めるのが良かったのでは?と思ってしまうのだけれども、最後にあのシーンがあることで結局死んでしまう結末しかないんか、というのと、上記の不可解なシーンも『それは昏睡状態で見ていた出来事だから』という言い訳が通用しなくなるわけである

と、こんなややこしいことを考えてこの映画を見る人のことは想定していないと思うw

もっと指摘しようとすればできるけど特にコメントがない限りはやめておこうw

原作もあるとのことで映画だけに問題があるわけではないのかもしれない
この手のライトな作品では、あんまりタイムリープには容易に手を出さないほうがいいような気がする

映画としては思ったよりもうまく作られていたとは思う
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