表情の持つ力
大きな規模のテロがここまで頻繁に起きてしまう現代の世界情勢を鑑みると、どこかの時点で何か手は打てなかったのだろうかと、少し後ろ向きに考えてしまいます。
話し合いでどうにかなると日本人的発想で考えてしまうのが甘いことだと分かってはいても、戦闘機で空爆なんて十字軍時代に馬の上で剣を振り回していたのと中身はそれほど変わってないんじゃないかと思ってしまうんです。
こんな今の時代より幾分かはましだったであろう、1996年のアルジェリア。
ティビリヌ修道院の修道士7名がイスラーム過激派に誘拐され、後に殺害されるという事件が起きました。
この事件を基に作られたのがこの作品。
過激派のテロにより不穏な空気が漂うアルジェリアの田舎町。
修道士達の日常は一見すると平穏に見えますが、過激派の訪問をきっかけに最悪のシナリオへと徐々に動き出していきます。
この映画、悲劇的な結末を迎える事が分かっているからこそ、そのラストがどのように迎えられるかが最大の見所となります。
その中で、僕が注目したのが人の表情なんです。
まずは、修道士と過激派との初対面シーン。
過激派の脅しに対し修道士がイスラーム教の教えを引き合いに出すんですね。
その時、過激派の表情が一瞬だけ変わるんです。
驚いたような表情をみせる。
相手がまさか自分達の宗教に理解があるとは思ってもみなかったような表情。
そしてほんの一瞬だけ空気感が和らぐんです。
表情による見事な演出だと思います。
これ、さりげない演出ではあるんですが、他者と対話をする際の前提条件を提示しているかのようなシーンでした。
そしてこの映画の最大の見せ場が、最後の晩餐のシーンでしょう。
過激派の脅しに屈せず、本国からの退去勧告も受け入れず、修道院に残る決断をした修道士達の最後の食事の場面。
修道士達の様々な表情が長めの尺で写し出されていきます。
そのバックでは白鳥の湖が流れている。
笑顔や泣き顔、思い詰めた表情に決意に満ちた表情など。
次々に画面に現れるその表情の数々を観て、自然と涙が流れ落ちました。
ひとの表情が持つメッセージ性は言葉よりも大きい。
ここに異文化間の相互理解へのヒントがあるように感じました。
表情に乏しい日本人でも表情の持つ力強さには気付けました。
営業スマイルだけは上手いんですがね。