カラン

少林寺のカランのレビュー・感想・評価

少林寺(1982年製作の映画)
3.5
紀元後600年くらいの少林寺という寺院が舞台。隋王朝の東都(現在の洛陽)で群雄の1人、王世充(字幕ではワン将軍)が人民に圧政をしいている時に、武人たちが立ち上がるも、返り討ちにあう。その場でワン将軍に父親を刺殺された小虎(ジェット・リー)は自らも手傷を負うが、なんとか少林寺の門にたどり着く。高僧の1人は不吉として追い出そうとするも、管長の意向もあって迎え入れる運びとなり、少林寺で小虎がワン将軍を討ち取らんとする復讐への鍛錬の日々が始まる。。。



















およそ宗教には戒律というのがある。仏教には五戒というのがあり、本作では主に(1)不殺生戒(ふせっしょうかい)と(2)不邪淫戒(ふじゃいんかい)と(3)不飲酒戒(ふおんじゅかい)というのが問題になる。

少林寺の説明に続く映画の冒頭は、映画の最後である。本作の主人公は仇を討ち悪を撲滅するために(1)を破るのだが、最初=最後に僧侶として(1)を遵守すると誓約することになる。(2)に関して戒律の厳密な解釈を云々するつもりは毛頭ないが、この映画においてはある1人の女との関係を指す。その女とは、自らの命の恩人であり、かつ、師父の娘であり、この師父は娘を連れて寺を離れてくれることを望んでいたし、そのように主人公を説得したにも関わらず、主人公自らの因縁によって殺されてしまう。その女が最後に玉石を主人公に手渡すことになるのは、主人公が寺に戻り、僧侶となる、つまり不邪淫戒の誓いをたてると言い出し、生き別れの運命になるからである。最後に(3)の禁酒の戒であるが、(2)の誓いを渋々たてた後で、世俗の君主の口添えもあって管長の後継者から酒は良しとする旨が公言される。

どう考えても、論理的でないだろう。人として、恩師の娘よりも先に酒というのは、不義理だろう。いずれにせよだ、宗教的戒律を勝手に歪曲している。女にとってこの主人公は飼い犬の仇である以上に、父の死の大きな要因である。それでもこの主人公を愛すというのにも関わらず、酒が許される、やったー、へらへら〜。こういう頭のネジが外れた異常な話には、だいたい何かあるのだ。

私が幼年の時分には、本作のようなカンフー映画が楽しくてたまらなかった。今見返しても、ジェット・リーの馬力のあるアクションはかっこいい。一挙手一投足ごとに衣が風を切るSEが入り、カンフーシューズが土埃を上げる。蟷螂件、酔拳の様々な形や、鉾や刀剣、三節棍や流星錘等の多様な武具を使った形が、それぞれ漢字の字幕スーパーで提示される。

セットがいかにも安い。さらに、犬や羊といった動物の扱いは80年代の映画には思えない古色蒼然とした人間中心主義である。しかし、さらに異様なのはオープニングの少林寺の説明である。日本で広まった少林寺拳法の関係者である日本人が出演している。文化○革命で散々な目にあって伝統も歴史も粉砕寸前で藁にもすがる気持ちで出演依頼したのか?あるいは、日本側の宣伝であったのか。主演のジェット・リーは競技カンフーの連続優勝者であるらしいが、少林寺の流れを汲む拳法ではない。その他の出演者もカンフーの達人のようだが、少林寺のものではない。実質的に伝統が途切れているのである。そんな状況を包み隠さんとしてなのか、中国名に改めた日本人まで登場させるオープニングは、失われた文化の逆輸入によって無いものを補填しているようで、伝統の消失を逆に裏付けてしまっていないだろうか?そこに痛みはないのか?笑っている場合なのか?酒でいいのか?

文化○革命というのは2000万人とも推定されている政治的虐殺と破壊が行われた蛮行であるが、文化浄化で焚書はもちろん、寺社や文化財の破壊もなされた。が、未だに某国では放送禁止用語であるらしい。文革の終焉が発表されたのは、大躍進政策で文革以上の死者を出して失脚して、その挽回に自らの政治生命だけを賭けて、貧しい人たちをけしかけることで文革を始めたマオ氏本人が死んだ時だった。それから数年後に公開されたのが、本作『少林寺』(1982)である。本作ではもちろん文革のことはまったく言及されていないし、無関係である。たしかに飢えは本作で2度3度取り上げられるし、ホロドモールは毛何某のオハコであろうが、ここでは関係ないだろう。

ところで、本作の僧侶たちは心の仏を大事にしているので、現実的な殺生はケースバイケースであるらしい。だからこそ現実の悪を受け入れられる!ならば、この僧侶たちは何と闘っているというのか。違う、違う。彼らは闘ってなどいない。既に闘争は終わっているのだから。

この映画の僧侶とその志願者のすべきことというのは、現実を受け入れるだけなのだろう。イデオロギーへの奉仕。この映画に蔓延しているヘラヘラした自己正当化で御仏を語っているのが、仏道とは無関係な生活を送っているのは重々承知であるが、どうにも苛々する。マオイズムが切り裂いた歴史と文化を縫合する迎合的な茶番に本作が見える所以である。

子供時代の憧れから、スカッとしたいと思ってDVDをレンタルした。気色悪さを最後まで払拭できず。
カラン

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