がちゃん

魂のジュリエッタのがちゃんのレビュー・感想・評価

魂のジュリエッタ(1964年製作の映画)
4.0
心の養分が枯渇してきたときにはフェリーニを観るに限る。
彼が創造したものを想像しながら観る。
フェリーニ作品は心の栄養剤です。

結婚15年目を迎える裕福な家の妻ジュリエッタ。
その結婚記念日の夜、彼女はメイドを総動員して精一杯のお洒落をしてロマンチックなディナーを期待する。

が、夫はたくさんの客を連れてきてそんなムードは吹き飛んでしまう。

奇妙な訪問客で困惑してしまうジュリエッタ。

その夜ジュリエッタは、夫の寝言で他の女の名前を聞いてしまう。
初恋の人が夫だったジュリエッタにとっては、まさに青天の霹靂ともいえる一言で彼女は夫の浮気を疑うことに・・・

ここからジュリエッタは過去と現在を行き来します。
SF的なタイムトラベルではなく、自分の潜在意識と向き合うことになるのです。

彼女の貞操観念は、少女の頃学芸会で演じた、火あぶりにされて殉職する聖女のイメージが強いのでしょう。
たくさんの人に見つめられながら空に登っていく自分。
縛られて身動きもできず運命の流れに乗ったまま抗うことができない。

海岸で重い何かを引っ張っている老人。
「わしは、もう年をとったから」と言ってそのロープをジュリエッタに渡す。
あまりにも重たいので振り返ってみると、彼女が引っ張っていたのは奴隷船の舟。これも抗うことのできない“老い”のイメージ。

夫を疑うことで今まで感じなかった不安を覚える。
そんなジュリエッタの心を助けてくれたのが、サーカスの踊子と駆け落ちした父親。
見世物にされている自分を物理的にも精神的にも開放してくれた。

自己逃避したいときにジュリエッタはいつもサーカス的な世界に没入するのだ。

悪魔的なささやきも聞こえる。
「夫が不倫しているのなら自分も不倫してしまえ。」
そのささやきは実に魅惑的でジュリエッタを惑わせる。

精神的平衡感覚を失っていて、心の中は暴風雨のはずなのに、ジュリエッタは決して他人に涙を見せることはない。
自分の心象と向き合う時だけ涙を見せる。

倦怠期の夫婦の夫の浮気を疑って妻が取り乱すなどという実に通俗的な話を、フェリーニ監督はその色彩感覚も相まって素晴らしい芸術に昇華させる。

代表作、「8 1/2」(1963)だって一人の映画監督の実に内向的で通俗的な物語だ。
平凡な生き方をしている者だって、その一つ一つは芸術になり得るんだということを教えてくれるのです。

その温かい視線は、「道」(1954)や「カリビアの夜」(1957)などから全く変わっていない。
表現方法が違うだけで真髄は同じなのです。

イメージ、イメージ、イメージの洪水。
これでもかというくらいフェリーニは押し付けてくる。
しかし怖がって観てはつまらない。
心を開放してフェリーニと格闘しながら鑑賞するとこんなに楽しい作品はない。

その抽象的な表現に宗教的な解釈を加えることもできるでしょう。
あるいはユングやフロイトのような精神学的な見方をしても面白いかもしれない。

そんな観客の意見に対して、解釈はどうぞお好きにとフェリーニは言っているような気がする。

ホラーと見紛うかのようなたたみ掛けるシーンの後、ジュリエッタは豪華な屋敷を出ていきます。
それは夫からの解放を意味するのか絶望を意味するのか。
ラストの解釈まで観客に投げてきます。

そうですか、じゃあ、受けてやろうじゃないの!
いつもフェリーニはそう感じさせてくれます。
いいですね。

主役のジュリエッタを演じるのは、
「道」や「カビリアの夜」で観客から涙を搾り取ったフェリーニ夫人のジュリエッタ・マシーナ。
大きな眼がクルクル動く演技が相変わらず印象的です。
その大きい瞳から零れ落ちる涙の重さ・・・

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