Ryo

ツリー・オブ・ライフのRyoのレビュー・感想・評価

ツリー・オブ・ライフ(2011年製作の映画)
4.4
生命の誕生と父親との関係

主役の一家と並行して描かれるのは宇宙の歴史。今まで見てきた中で完璧な映像美と構図で、ガスがあり惑星ができ、生命が生まれ、というのを見せられる。この映画はリンチ作品のような難解なタイプの映画ではなく「抽象的」で「私小説的」な要素を多分に含んだ作品であって、「100人100通りの解釈ができる」タイプの映画と言えます。

化学薬品、絵の具などの塗料、様々な液体、煙なんかを使って宇宙を表現してるためCGはあまり使ってない

ーストーリーー
親父を憎むショーンペン。金髪の次男はそんな親父からの音楽家への圧迫と期待で自殺する。憎しみは増える一方だが宇宙規模で考えたショーンペンはあの世で父と和解する。

ーテレンスマリックの人生ー
この映画はまさに監督の人生そのものでありほぼ内容は同じだという。父への怒りを晴らすためにこの映画を作りあの世で和解をする。
この映画では主人公は嫌いだった父親と同じ父親像になってる事に気がつき和解している。

ーキーワードー
GraceとNature
神を信じる信仰(Grace)と弱肉強食世界、世俗(Nature)で現実的な者。この夫婦はそれを象徴してる。その対立を描いてる。「金持ちになれ」「他人を蹴落せ」「成功しろ」と教育するオブライエン、「私欲を捨てなさい」「他人を思いやりなさい」「神を慕いなさい」と教えるオブライエン夫人。だがそんな対立が一体になることが宇宙の歴史であり人生である。それにより自身の父親を許すことにする。

ー恐竜のシーンは?ー
動けなくなった恐竜のところに別の恐竜がやってきて食べようとするもやめるシーンがあります。あれは、上に記載したGraceを表している。

ータイトルの意味ー
エデンの園の中央には、二本の木が生えているという。
 一つが知恵の樹、もう一つが生命の樹(Tree of Life)である。アダムとイブは知恵の実を選び知恵をつけ永遠の命は選びませんでした。
さらには系統樹を表してます。アメーバから始まり、カエルや虫や人間など生命の枝分かれを表してる。
更にはフラワーオブライフという言葉もありこれはツリーオブライフの次に来る図形の事です。この通りツリーオブライフは生命の始まりを意味している。

ー光の演出ー
逆光や光のアートが多く出てくるこの映画では光=神というテレンスマリックの認識があるからです。
ナレーションも神に対して語られることがほとんどです。

ー冒頭のヨブ記ー

「わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか」
旧約聖書ヨブ記38章4節
『ツリー・オブ・ライフ』は、こんな旧約聖書からの引用で幕を開ける。ヨブ記は、信心深い善人のヨブが、その信仰が本当に揺るがないものかどうかを神様に試され、超理不尽な苦難にあうというエピソード。彼は財産も家畜も子供たちも失い、絶望のドン底に叩き落されるが、それでも神を呪うことはしなかった。

今度はヨブ自身が皮膚病にかかり、見舞いに来た友人たちが「神に懺悔した方が良い」と忠告するものの、身の覚えのないヨブはそれを拒否。すると天から神の声が聞こえて来て、

私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。
知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。
誰がその広がりを定めたかを知っているのか。
誰がその上に測り縄を張ったのか。
基の柱はどこに沈められたのか。
誰が隅の親石を置いたのか。
と、「お前が理解していることなど、神=宇宙というスケールでは無知に等しいのだ!」と一喝されてしまう。ヨブは友人への反論が自己弁護に陥り、それが神への不信心であったことを悟るのであった。

どんなに現実が辛かろうと、どんなに現実が理不尽であろうと、その状況をしっかりと受け止め、神への祈りを捧げるのみ。筆者のような不信心者にはその境地に辿り着くことは難しいが、哲学系映画監督のテレンス・マリックにはそれこそが最も重要なイシューなのだろう。つまり、この映画自体が神への祈り。主人公の名前がジャック・オブライエン(Jack O’Brien)で、大文字を繋ぐとヨブ(JOB)になる。(Filmarks記事より)
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