カラン

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序のカランのレビュー・感想・評価

3.5
『風の谷のナウシカ』のナウシカは胸が大きい。しかしその胸は性的な欲望に奉仕することはなく、宮崎駿によると、「死んでいく爺さん、婆さんを抱きとめるために大きい」のだと言う。また、ナウシカはエコロジカルな思想に、かなり深く傾倒しており、グリーン系の過激派である。昭和が生んだ「戦闘美少女」の原型は、優れた戦闘能力を持ち、自然主義の思想を強力に伝播するカリスマで、ふくよかな胸よりも、耳についた赤い小さな石をむしろ揺らして、風に乗って戦火に赴く16才なのである。まったくもって男根的である。


では、平成が生んだアニメヒロイン、綾波レイはどうか?はじめて、この作品に触れた時、引きこもりの草食系で、欲望が枯渇する寸前の野菜みたいな子供たちの作品であり、日本人は自分が死滅する夢を見て喜ぶようになりつつあるのかも、などと冷たいことを感じていた。

綾波レイ、彼女は肉を食わず、コンクリート打ち放しのグレーな空間に居住して、人間的な感情表現を知らない14才。同時に、碇ゲンドウの妻=碇シンジの母という聖なる核家族の領域内を浮遊して、その双方を近親相姦へと誘うエディプス的な形象なのである。

野菜のように枯れ果て、存在を喪失した存在なのに、男やもめの父親と一人ぼっちの長男を近親相姦へと誘惑し、相克と葛藤の源泉となる機能を果たす14才の女の子。こんなバカげたキャラクターをヒロインにすえたエヴァは「深い」とかと若い人が言うのは、無知なのだから仕方がない、しかし、おっさんたちが喜んでるのを目にするのは、かなり苦しい、と改めて文字にすると、我ながら、ずいぶんと冷たいことを感じていたわけだ。


今はどうだろう。

劇場版は、観れるのは全部観た。映画館で観たのもあった。この作品をTVアニメで観たり、漫画を読んだりしたことがない人が、劇場版を観るのは、おそらく、機動戦士ガンダムの3作をいきなり観るのと同じく、訳がわからない、つまらない、と感じることになるだろう。これからの人は、漫画本を一読してから、観るのが良いと思う。

で、まずまず楽しい。何がと訊かれると困るが、好きなキャラクターはミサトさんなので、まあ、結局エヴァの世界に入り込めていないのかもしれない。ミサトさんは、綾波レイよりも、男根付き美少女・ナウシカに近いからね。

率直に言えば、ガンダムもエヴァも、映画単品の出来は、お粗末である。ただ、映画以前にファンであった人は、《記憶》でカットの合間を補うので、テンポが小気味よく、楽しいと感じるし、そうでない人には不可解そのものなのである。ガンダムやエヴァは、それを楽しめない人からすると謎以外の何ものでもない作品外の《記憶》によって、作品そのものが成立するという構造をしており、内に向かって奇怪な閉じ方をしているので、余計にオタク的連帯を匂わせる。この《記憶》へのアクセスがキモなのである。で、この《繋がる》系が、寂しい人たちの集まりみたいに思えて、結局のところ趣味ではない。