豚アーニャ

ゴースト・ドッグの豚アーニャのネタバレレビュー・内容・結末

ゴースト・ドッグ(1999年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

黒人ギャングの武士道による「ライフスタイル」を貫く話。

ルーイの「何がなんだかわからない」は
ギャングの立場で侍の心得を全うする、矛盾の中で生きてるゴーストドッグを正しいと思ってしまったことで、何をするべきか、自分の正しさがわからなくなってしまったんだろうな。結局報復しても何も救われない。割と友情寄りのシーンもあったので、ルーイはギャングとして殺すことに躊躇ったのではなくて、ゴーストドッグを殺す人情で躊躇って欲しいと思った。
「最後の1人だな。これでお前がボスだ」
「それはどうかな」
という会話の後に乗り込んだ車にボスの娘が乗ってるのを見て、ルーイは結局ギャングとして生きて行くことを選んだ。
というかボスの娘が真のギャングであり全ての黒幕だって思った。
序盤から混乱招いてたのはあの娘だったし。

ゴーストドッグが殺しに向かう時、盗んだ車で必ずパーカッシブなビートを流したり、ギャング達が階段を上り切ってクタクタになったり、家賃の滞納で怒られてたり、車のナンバーを交換する作業が「ゆったりし過ぎだろ!」と思ったけど、それがジム・ジャームッシュの作品であって、どこか尖りきらない良さのような気がした。チープな映像表現が現代ではシュールに感じてしまうこともあいまってクスッとなってしまうことが多かった。

熊を殺した狩りの人たちを殺して
「それは古代の文化だ」って言われてた、所謂時間を感じさせる会話が多かった事と、ギャング達がおじいちゃんばかりだったこと。繋がるかはわからないけど、ゴーストドッグ愛読書であった「HAGAKURE」が幼いパーリーンの手に、ギャングの娘に「RASHOWMON」が戻ってきたのは、何かを継がせるとかそういう意味だったのかなと思った。核心は分からない。
屋根の上に船を作っていたあのシーンは、思想を組み立てて行くことによってどこまでも連れて行ってくれる「ノアの方舟」的な意味に思えたけど、見終わったら逆で、どこまで完成を目指して組み立てても逃げられない、ゴーストドッグの根幹にある閉塞感の顕われのような気がした。ゴーストドッグが鳥を愛してるのはその理由で、空を羽ばたいてどこにでも行ける自由さに惹かれていたんじゃないかなと思う。鳩が皆殺しにされてるとゴーストドックが気付いたシーンには、脅しと、「お前はどこにも逃げられない」って意味合いもあるんだなと思った。

どうしても謎なのが、ゴーストドッグがルーイに助けられたシーン。
ルーイの回想では半グレに銃を向けられてたのはルーイ本人なのに、ゴーストドッグの回想ではゴーストドッグ自身に銃が向けられていた。一瞬のシーンだから特に意味は無いのかもしれないけど、それが結局何を意味するのかは最後までわからなかった。
あ アイスクリーム屋が腰に持ってた銃は、ルーイを殺させない為だったのか。

結論、ゴーストドッグがかっこ良すぎる。
あと言葉が通じないアイスクリーム屋を親友と呼び、通じない会話が反復し通じてるのは良かった。
ジムジャームッシュってギャングスタラップ好きなんだな。
豚アーニャ

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