【孤独・対比】
最近は、映画の上映時間の長さに不平を言う人が増えたように思うが、濱口さんの「ハッピーアワー」には抜かれたけれども、それまでの僕にとっての長尺ナンバーワンは、この「ゴッドファーザーPart II」だった。
でも、僕は長くて、得した気分だ。
この「Part II」の秀逸なのは、ヴィトーとマイケルの対比だ。
ヴィトーが、シシリア島を追われ、人助けもしながら、家族にも恵まれ、そして、組織を拡大、尊敬も集め、ある時、母親を殺した人物に復讐も果たすのに対して、マイケルは、ドンになると同時に、裏切り者や敵を許さない姿勢を強く示し、厳しい組織運営を実施、家族との関係は表面的なものとなり、そして、ライバル”ハイマン・ロス(実在の、マイヤー・ランスキーがモデル)”との対立の中で、孤独にもさいなまれるようになって、自分の家族とも疎遠になったり、兄を手にかけてしまう。
ある意味、ヴィトーの秘蔵っ子のような存在でありながら、ヴィトーと真逆なヒストリーだ。
ヴィトーは、利発なマイケルを愛し、大学を卒業して、マフィアとは距離を置き、普通のアメリカ人として成長することを願った。
また、マイケルは、マフィアとしてのアイデンティよりアメリカ人としてのアイデンティティを重視し、第二次世界大戦にも志願して参加してしまう。
しかし、ヴィトーは、そうしたマイケルのことも誇りに感じていたのではなのか。
マフィアというコミュニティと国は違うけれども、属するものへの貢献を考えて行動するというのは、ヴィトーも大切にしてきたもののはずだ。
だから、「Part I」で描かれたように、マイケルは運命のいたずらで、ヴィトーの復習を果たすことになり、後継者となってしまうが、本当は、ヴィトーがマイケルこそ後継者に一番ふさわしいと感じていたいのではないのか。
この辺は、回想もあるが、「Part I」で描かれた部分だ。
ただ、歯車が逆回転する。
これは、何もないところから仲間を増やし、組織を拡大した人間と、大きくなった組織を受け継ぎ、その運営に腐心するあまり孤独に陥ってしまった人間の運命の物語だ。
アメリカの暗い歴史、非合法組織、非合法組織であっても家族や仲間を大切にする人間性、組織と個人、犯罪組織とアメリカの司法、非合法ビジネスと合法ビジネス、様々な対比を織り込んで展開する2人の人間の重厚な物語なのだ。