デニロ

どんと行こうぜのデニロのレビュー・感想・評価

どんと行こうぜ(1959年製作の映画)
2.5
1959年製作公開。脚本野村芳太郎、大島渚。監督野村芳太郎。大島渚のオリジナル脚本を野村芳太郎と大島が脚色したそうだけど。

何がどんと行こうぜなんだか。

60年安保を控えての、どんと行こうぜだったんだろうか。意味不明のストライキをさせてりしたけれどそんな賃労働と時間を描きたかったんだろうか。大島渚は、この年、愛と希望の街』を撮り、翌60年には『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』と、怒涛の3連作が待っている。

そんなことを踏まえて大島渚のオリジナル脚本というものがどんなものであったのかを想像するのも楽しい。

さて、まだまだすらりとしている頃の渡辺文雄と目元涼しく鼻筋通った牧紀子の兄妹。兄はラジオ局勤務。妹は大学生。ふたりの話から実家は相当の事業を営んでいるらしい。そうでしょ。大学に上がるなんてなかなかない時代だったでしょうから。

学生のアルバイトをどう思うかって?学校卒業したら何十年も働かなくちゃならないのに、何が悲しくて学生が働かなくちゃならないの。わたしはそんな風に思っていた。今でも労働には嫌悪感しか感じない。労働で流した汗は美しいなんて、そんなことあるわけないじゃんか。

とはいえ、授業料と最低限の生活費は必要なので短期間で稼げるバイトを考案して数年間過ごした。本作でも学生が効率のいいバイトを模索していましたが、あ、闇バイトで金を騙し取ったわけではありません。時間を売るのです。でも、やっぱり酷い食生活を送っていたものでした。

牧紀子。大学の放送研究会でそんな大学生の就労ルポルタージュを作る。兄のラジオ局で放送されたものの番組のスポンサーには不評で、学生のセックス、スピード、スリルの3S をテーマにとリクエストされる。
強気な彼女もセックスなんてよくわかんない、と学生作家の小山田宗徳を訪ねると飛んで火に入る夏の虫とばかりに餌食になりかかるのですが、都合のいいことに助っ人が現れて危難は去ります。このあたりの描写は作家の邪な妄想のような気がしないでもない。

結局、わたしには何を言いたいんだかよくわかんない作品ですが、ハナ肇とクレージーキャッツや長嶋、村山の巨人阪神戦を観ることができるのです。

国立映画アーカイブ 没後10年 映画監督 大島渚 にて
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