デニロ

悪は存在しないのデニロのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

悪は存在する、・・・・から存在しない、と書き換えられる。

森の中。梢と空を見上げて移動する視線がしばらく続く。徐々に視線は降りてきてぽっかりと開いた原っぱにひとりの幼い女の子が戯れている。このシーンだけで何かが起こることを感じさせる。視線が誰のものなのかよく分からない。いやな感じがする。次に、カメラは移動しながら小屋の前で薪を割っている男の姿を追っていく。暫らくその姿を映し続けていくが、その男/巧が沢から水を汲む姿に変わっていく。そこにもうひとりの男/和夫が現れて遅れたことを詫びて、既に汲み終わっているポリタンクをふたりで行きつ戻りつして車に運びこむシーンに変わる。その時唐突に巧の顔のアップになる。和夫に、陸わさびを指し示して、うどんや蕎麦に使うといいよと勧める。和夫はうどん、蕎麦で生計を立てていて、汲んできた水はその為のもののようだ。ふたりのこの土地に関する年季の違いが分かってくる。あ、と男が娘/花を学童に迎えに時間が過ぎている、と遅れてきた男/和夫に言う。別れ際、和夫が/じゃ、今日の7時に/え、何だっけ/グランピング業者の説明会の打ち合わせですよ/あ、そうだっけ/と言い交わすその次に和夫が重要な言葉を吐く。/巧さん、忘れすぎですよ。/

この後も緊張するショットが連なる。子どもの静止画面。なんだろうと思って観ていると、学童保育で子どもたちがだるまさんがころんだで遊んでいるところだった。そこに花を迎えに来た巧の車が滑り込んでくるのですが、また忘れてられているからって先に帰りましたよ、と職員に言われて巧は施設を離れていきます。その時に、だるまさんがころんだで遊んでいる子供たちを巧の車の後部窓から静かに切り取っているのです。そして、その次のショットではひとり原っぱを歩く巧を写し出したかと思うと物陰から出て来た時には巧は花を背負っているのです。林を歩く。幹が赤いのは松、黒いのは唐松、子鹿の白骨死体、雉の羽。

グランピングの担当者の説明会を観ながら別のことを思い出してしまった。もう何十年も前、新造成の住宅地に移住してきたわたしたちの近くにパチンコ屋を開設したいと、ついては住民説明会を開きたい旨の戸別訪問が対象者にあったそうです。対象者の範囲は予定地の数十メートルの範囲に住む住民だったのだけれど、その住民から少人数で対応するのは不安なので、ここは自治会の問題として捉えて協力してもらえないかとの話だった。対象者でもないのに意味があるのかという議論の末出来るだけ出席しようということになったのですが、わたしの先輩の住宅地の近くで同様のことがあることを聞いていたわたしは先輩に聞いていたエピソードを紹介した。先輩曰く、説明会というのは反対意見多数でどんなに大混乱となろうとも、住民に説明して意見を聞きました、という事業者の実績になってしまうだけだと。そんな意見を取り入れて、それでは住民が事業者を呼ぶ形で説明を求めようと、そしてそこには行政も呼んでおこうということになった。多くの住民が参加したけれど、本作の住民の様に理路整然と事業計画の不備を指摘するわけでもなく、もう意味不明の情緒的な理由を含む反対意見が続出して事業者はロクに説明も出来ずに終わり、立ち会わされた行政も困った表情を浮かべるばかり。その事業者はパチンコホールの計画をカラオケ店に変更して捲土重来を期した様子だったけど、そのうちにカラオケ店も閉まってしまった。わたしはパチンコもやらないし運転免許証の所持していないので交通渋滞も関係ない。反対しているみんなだって500メートル先にあるパチンコホールには通っているのだから、もはや住民エゴの何物でもありません。

グランピングの担当者/高橋と黛は住民の意見の方に理があると、事業を指導しているコンサルタントや社長に撤退を提起するんだけれど、けんもほろろでわたしたちが現地で説明する必要はない、説明会を開いたという実績を持って着工を急ごう、ついては村のなんでも屋である巧に管理人を頼んじゃどうかなどと現場の雰囲気を分かっていない提案を返され、今すぐに交渉して来い!

その道中の高橋と黛の会話が面白いんだけど、実にこのふたりだけが生身の人間のような気もしてくる。道中、高橋のスマホにマッチングアプリからマッチングの連絡が入る。笑い転げる黛。このマッチング娘と結婚して、自分がグランピング施設の管理人になってもいいな。

薪割りをしている巧の前にたつ高橋と黛。飯はまだかとふたりに問うて和夫と奥さんで営業しているうどん屋に誘う。行く前に高橋が、薪割りやってみてもいいですか、この十年で一番気持ちよかった。例の水で練り込んだうどんと出汁を取ったかけ汁。美味しかったですと黛。体が温まりましたと高橋のお愛想に、それって味じゃないですよね、とつっけんどんに返す和夫。巧は言う。施設の予定地は鹿の通り道なんだ。/柵を立てます。/鹿は2メートルの高さを飛び越える。/施設に来る都会人は鹿なんて見たことないから喜ぶかも。鹿は人を襲わないですよね。/絶対に襲わない。もし、あるとすれば手負いの鹿だけだ。第一野生の鹿は臆病で人には近付かない。/近づかないなら問題はないんじゃないですか。/鹿はどこに行くんだ。/どこか別の場所に。/黙り込む巧。

再び花の学童への迎えに行く時間を忘れていた巧。高橋と黛を伴って急いで学童に向かう。例の如くの職員の言葉に花を追いかける巧。が、こころ当たりを探してもその姿は見えない。家に戻ってもいないので、村中総出の捜索になる。

そして、ファーストシーンと同様の梢と空を見上げる視線が続いていく。だけど今回は夕暮なのか、明け方なのか、花捜索との時間の経過が曖昧になっている。視線が徐々に降りて来るとあの原っぱに花と鹿の親子が対峙している。その対峙を見止める巧と高橋。鹿の胴にある銃創のクロースアップ。手負いの鹿。高橋が花を呼び駆け寄ろうとすると、巧は押し留め高橋の首を締め上げ極める。何をするんですか、と高橋は苦しみ藻掻きながら叫ぶけれど、わたしも巧が何をしてるのかさっぱりわかりません。ここから先は脚本も書いている監督/濱口竜介の謎かけ以外の何物でもありません。ヒントは散りばめられているんでしょうけれど、そもそも終わりなどないのかもしれません。巧にとって花とは。高橋とは。そんな物語なのかもしれません。花はいつもひとりぼっちで歩いています。父親と家にいてじゃれついても巧は邪魔だと言わんばかりに払い除けますし、学童へのお迎えも忘れられるのです。邪険にされた花は巧を最低の父さん扱いしているし、守られているとも信じていません。家に飾られている写真には花を中心に巧と女性が並んでいるけれど、その女性はもうここにはいない。もう一方の高橋は、今の仕事に限界を感じそろそろ方向性を変えたいと思っているところ。巧に頼んで薪を割らせてもらって気分が良かったとか、沢で水汲みを手伝ったりとか、花の捜索に付いてきたりとか、住民説明会での住民の発言、/都会の人はストレスを吐き捨てにここに来る/を自分では知ってか知らずかそんな役割を見せてしまっている。

花を抱きかかえて靄の中に消えていく巧。それはある日、花を背負って原っぱを歩く巧の姿と相似形だ。

子鹿のささやき、フランケンシュタインの怪物・・・・・。そんな物語。
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