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007/慰めの報酬のVeloのネタバレレビュー・内容・結末

007/慰めの報酬(2008年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

カジノロワイヤルでの事件を引き継ぎ、
ヴェスパーの死によってボンドに重くのしかかることになった復讐心をテーマにした「慰めの報酬」

復讐という慰めによって得られるものは何なのか。自分の人生に復讐がもたらすものは何なのか。

ダニエルクレイグ扮するボンド映画の中でも、アクションの派手さやロマンスの盛り上がりなど007映画としてのインパクトは少なげな本作だが、
復讐というテーマをわかりやすくなげかけてくれている。


映画におけるカタルシスには、
脚本やストーリーの流れ、伏線回収による納得感に似た構造上のカタルシスと、
こういうシーンが見たくてこの映画観たかったんだよーというシリーズものに求められるお約束的なカタルシスと、
などがあると思う。

007の場合、お約束的なカタルシスが目当てになることが多いはずだ。
あの世界観やボンドの身のこなしがかっこいいだけという、歴史ある大人気映画にしては薄っぺらい側面も持つ。
(それでもここまで息の長い大作シリーズたらしめているのは、この映画の凄いところだが。)

そんな007が珍しく、誰にでも通ずる倫理上のテーマと答えを用意していた。

復讐してどうなる?


復讐にもいろいろあって、

ボンドのように大人になってやるべき仕事をしている途中で、ある出来事をきっかけに復讐心が生まれた場合。
その復讐心なしでも生きていけるなら、復讐しなくとも今の自分が成り立つのであれば、いつでも復讐できる優位なポジションに立ちながらいつか復讐できる状態のまま殺さず泳がしておく。ここまでが冷静で着実な復讐。このほうが自分に利がある状態を保てる。ゆえにこの場合は、復讐は実行せず、その気持ちは心の奥底に鍵をかけてしまっておくのが吉。


しかし、今作のカミーユのように幼い頃に植え付けられた地獄のような経験から来る復讐心は、復讐そのものが生きる理由になっているため実行する他ない。
そして実行したら終わり、生きる理由をなくす。もしくは、復讐の完了を機に生まれ変わったように再出発できる人間もいるかもしれない。いずれにせよ、復習してみないことにはわからない。
カミーユは復讐の果てに、死者は報われたのか答えのない疑問に苦しむ。

映画やフィクションでたびたび出てくる「復讐」という言葉。もはや実世界の日常会話で復讐なんてことそうそう起こらないが、自分だったらどうするか。
ただのアクション映画の域を越えた別世界の擬似体験として、復讐について考えられる映画だった。




家族を惨殺した独裁者への復讐のためだけに生きてきた美女カミーユ。
カミーユとともに独裁者のもとへ決戦に殴り込む直前、ボンドが彼女に語りかけた言葉。

「人を殺したことは?
引き金を引く瞬間が大事だ
復讐の気持ちがそれを乱す
深呼吸しろ
1発で相手を仕留めるんだ」

どうだろう?
ボンドは殺す前に深呼吸なんてしないし、ボンドが立ち会った戦場にはそんな一刻の猶予も存在しない。
どちらかというとこんな台詞の方が似合う気がした。


「人を殺したことは?
引き金を引く瞬間が大事だ
復讐の気持ちがそれを乱す
深呼吸をするなら今だ。
敵が見えてからでは遅い」

こんか台詞でもよかったなーなんて。



晴れて復讐を果たしたはずなのに浮かない顔のカミーユ。
「あいつは死んだ。でもそれが何?
これで死者は安らぎを?」
ボンドが答える。「死者は復讐など求めない」

作中、復讐心に燃え、行く手を阻む者を見境なく殺していたボンドが何を言うか、どのタイミングで達観したんだと思った。
たぶんマティスも死んだあたりから、自分でもひきはじめたんだろうな、俺と関わると人が死ぬって。
いちいち復讐とか言ってたらキリがないわこれ、と。
ボンドの復讐心に関しては経験が乗り越えさせてくれたんではないかな。
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