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トム・ホーンのsowhatのネタバレレビュー・内容・結末

トム・ホーン(1980年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

「英雄は排除される」

アパッチ戦争の英雄としてアメリカでは有名らしい実在の人物、トム・ホーンの「その後の物語」です。
当時悪性中皮腫で闘病中だったスティーブ・マックイーンが製作総指揮、主演を努めています。

ワイオミングの田舎町に一人流れ着く中年の根無し草トム・ホーン。
持っているものは愛馬、愛銃、ロープ、コート、服、お守り。
特に愛馬とは寝るのも一緒です。
周囲に迎合しない彼は早速酒場で喧嘩をふっかけられます。
どうやら喧嘩に負けたらしく、馬小屋でダウンしているトム・ホーン。
戦争の英雄も落ちぶれたものです。
彼が根無し草なのは彼の性格のせいなのでしょうか。

親切なおっさんがトム・ホーンに声をかけます。
「あんたみたいな男が体を張ってくれたおかげで今の平和がある」
トム・ホーンはおっさんの牧場で牛泥棒退治の仕事を請け負うことにします。

泥棒たちとの抗争に備え、ひとり銃の練習をするトム・ホーン。
どうやらブランクがあるようです。

「組合」の屋外パーティ、スーツ姿でロブスターを貪り食う男たち。
一見和やかなシーンですが、どこか邪悪な空気が漂っています。
生まれてはじめてロブスターを口にしたトム・ホーン。
その後彼の運命は暗転していきます。

いざ実戦では誰もかないません。
牛泥棒たちを次々と返り討ちにするトム・ホーン。
原則的に先に撃ってきた相手しか殺さないのがトム・ホーンルールです。

組合のおっさん達は自分たちで牛泥棒退治を依頼しておきながら、実際のなまなましい殺戮現場にドン引きし、ついにトム・ホーン排除に動きます。
羊飼いの少年を射殺した罪で逮捕拘留されたトム・ホーン。
相手は無抵抗の少年なので、冤罪の可能性を示唆していますが明示はされません。
愛馬、愛銃、ロープ、コート、服も取り上げられ、持っているのはお守りだけ。

鉄格子から見える遥か彼方の山並みと、自分に親切にしてくれたおっさんや優しかった女性の思い出。
それだけが彼の慰めです。
「死ぬことよりも自由を奪われることのほうが怖い。山に戻れなくなる」
そんな彼は一度だけ脱走を企てますが、あっさり捕まりボコボコに。
狩る方から狩られる方への転落。
闘病中のスティーブ・マックイーンが遥かに遠い山を目指してよたよたと走りつづける姿が胸に迫ります。

町のみんながグルであり、裁判も茶番であることを知っている彼は、無実を訴えることもなく従容として絞首台に登ります。
盛装して詰めかけた見届人の男たち。
水圧式絞首台、革の拘束具などの道具立てがさらに茶番を強調していました。

法と秩序と金を重んじる平和な時代がやってきました。
みんなの関心はスポーツ(ボクシング)、茶番(大西部ショー)、グルメ(ロブスター)、政治、月給。
そんな世界に血なまぐさい男の居場所はありませんでした。

トム・ホーン:「殺し屋と保安官ってなにがちがうの?」
保安官:「保安官には月給が出る」

なかなか気の利いたセリフです。


本作のテーマを一言にまとめるとすれば、「大衆への不信」と言えるでしょうか。
あるときは英雄ともてはやし、用済みになればポイ捨てする、義理も人情もない薄情で機を見るに敏な男たちばかりの平和な戦後社会。
根無し草の英雄に汚れ仕事をやらせ、冤罪を着せて始末する、「組合」のスーツ姿の男たちの邪悪さが際立ちます。
戦いにおいてもルールを守り、敵にも敬意を払い、仲間からも信用される、そんな立派で勇敢な男たちはみんな戦争で死に絶えました。
日本では西郷どんがみんな連れていきました。

自身の病気の報道をめぐりマスコミと対立していたスティーブ・マックイーンの心象風景が本作に反映されているような気がします。
彼の遺した最後の西部劇は娯楽映画ではありませんでした。


以下はwikipediaなどからひろった、トム・ホーン、ジェロニモ、スティーブ・マックイーン、3人のその後の様子です。


1860年、アリゾナでトム・ホーンが生誕。
同年12月、30人の白人金鉱採掘者がアパッチ族の野営地に急襲をかけ「アパッチ戦争」が勃発。
1874年、トム・ホーン(14)家を出る。鉄道工事人夫、駅馬車職員を経て騎兵隊員となる。
1877年、日本で西南戦争勃発
1883年、興行師のバッファロー・ビルが見世物の「大西部ショー」を旗揚げ
(本作中のトム・ホーンは「敵をたくさん殺した自分は人前に立つ資格はない」とショーに参加しなかった理由を述べている)
1886年、トム・ホーン(26)が騎兵隊員として活躍、ジェロニモ(57)の投降に貢献した。
同年アパッチ戦争が終結。

その後、保安官助手、ロデオチャンピオン、探偵局員、用心棒などの職を転々としたトム・ホーン。
コロラドでの保安官助手時代には17人のガンマンを射殺、その後ワイオミングの牧場に雇われ牛泥棒たちを次々に射殺した。
彼に殺されたガンマンは50人をくだらないと言われ、牛泥棒1人につき500ドルの報酬を得たという(本作中では200ドルの設定。当時の連邦副保安官の月給は40~50ドル)。

1903年、未成年者射殺の罪でトム・ホーンがワイオミング州シャイアンで逮捕勾留され、自伝を執筆後に絞首刑となる。享年42(刑の執行は43歳の誕生日の前日であった)。
1904年、セントルイス万国博覧会に日本が公式参加、アメリカ軍の捕囚であったジェロニモ(75)も人間動物園として展示された。
1909年、アメリカ陸軍シル砦に23年間幽閉されていたジェロニモが死亡。享年79。
1978年、持続性の咳に悩まされるようになったスティーブ•マックイーン(48)は禁煙し、治療を受けたが症状改善せず。
1979年12月、映画 TOM HORNの撮影中に胸膜中皮腫との診断を受ける。
1980年2月、広範囲の転移が発見されたが病状については公表せず。
同年3月11日、マックイーンが「末期癌」であることが報道された。
同年3月28日、映画 TOM HORNが全米公開。
同年7月にメキシコへ渡り3ヶ月間の非標準的治療(コーヒー浣腸、シャンプーによる頻回洗浄、牛や羊の細胞注入、ゲルソン療法)を受け、10月にアメリカへ帰国。
同年10月下旬、肝臓の巨大な転移性腫瘍の切除手術を受けるため再度メキシコへ。
同年11月7日、腹部と首の多数の転移性腫瘍を除去する手術を受け、12時間後に死亡。享年50。
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