かーくんとしょー

コッホ先生と僕らの革命のかーくんとしょーのレビュー・感想・評価

コッホ先生と僕らの革命(2011年製作の映画)
3.6
こどもの日ということもあり、録画しておいた子どもが出てくる映画を鑑賞。
1874年にドイツにフットボール(サッカー)を広めたコンラート・コッホを主人公とした、実話モデルのお話。

映画の中で最初に明示されるとおり、時は普仏戦争に勝利してドイツ帝国が成立した直後で、ドイツ人の国民意識が高まっていた時期。日本で例えるなら、日露戦争勝利後や大平洋戦争初期、高度経済成長期のようなイメージだ。
自国に誇りを持てるようになったその時期に、よりによって戦争中は英国へ留学していた者が、帰国して英国かぶれを広めようなどとしたら排除されるのは当然だ。

だが幸いにして、コッホには校長という後ろ盾がある。さらに、後に敵となる後援会長もコッホを雇う「実験」に最初は付き合っている。
これはドイツに、自分たちはまだ後進国という自覚も少なからずあったことを示している。この意識こそ、結末で英国文化たるフットボールが認められる上で非常に重要なファクターとなる、英国への強い劣等感だ。

さて、作中ではクラスに労働者階級の子どもが一人だけおり、これが実話かどうかわからない。
だが彼も「実験」の一部とされ、つまりドイツがさらなる高みを目指すための「実験」が重要視されていることを示している。
さらには、フットボールが育む仲間意識を示す上でも効果的な役どころだ。
欲を言えば、彼のフットボールセンスが優れていることがもう少しわかりやすければさらに良かった。

一方で、ヒロイン的立場の女の子には疑問もあった。
お坊っちゃんの男の子との身分違いの恋と、それゆえメイドをクビになり彼が父に反抗する契機を作る点は重要だ。
だが、試合中に急にしゃしゃり出てきてルールを役人に説明するのは、身分差や性差、年齢差から言って非現実的だろう。
むしろ彼女に与えられるべきだった役回りは、太っちょの男の子がしたような(労働者階級の)観客集めではなかろうか。そちらの方が、同時代の、また一般的な女性の性質に沿った活躍だったように思う。

作品全体として、モデルの実話をいくらか誇張しているのだろう、ご都合主義的な部分もある。
(最後の役人の視察など、コッホをクビにした時点で断りの電信を入れなさいよ、とは思う。)
だがその結果、主題をコッホの教育とフットボールを通じた〈子ども〉の成長に集約したことで、ストーリー展開にブレがない。
実際の生徒たちにはあそこまでドラマチックなエピソードはなかっただろうし、教育はすぐに結果が出るものでもないのだが、特に〈子ども〉をターゲットにした映画において、わかりやすく伝える努力だと大らかに受け取って楽しみたいと思える映画だった。

余談だが、作中では服従・秩序・勤勉といった典型的ドイツ精神が語られている。
よく日本人と似ているとも言われる勤勉なドイツ人だが、留学体験で個人的に感じたこととして、〈秩序〉に対する意識は天と地ほど違う。

よくある例え話では、沈没船から海に飛び込むのを促す際に、ドイツ人には「それがこの船の規則です」と、日本人には「みんな飛び込んでいますよ」と言うのが正解とされる。
ドイツ人はルールが先立ち、それを守る秩序を求めるが、日本人は場の秩序を優先することが先立ち、ルールは後付けになる。(このような場の雰囲気を優先する島国小国気質は、イギリスに非常に近いものだ。)
そんなお堅いドイツ人でさえもルールを曲げてしまうのがフットボールの魅力であり、何よりイギリスへの勝利という魅惑なのだと、本作からひしひしと伝わってきた。

written by K.
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