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ル・コルビュジエの家のsoraumidogのネタバレレビュー・内容・結末

ル・コルビュジエの家(2009年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

想像以上に面白かったし考えさせられた。
オープニングの画面の使い方や途中の画面の使い方が凝っているシーンが結構ある。
少々だれるシーンはあるものの建築のせいか映像としても好きな感じ。

軽く見れば隣人とのいざこざコメディのようにも見えるのだが、実際のところ社会や世界情勢の縮図という感じがした。

裕福で賢い人が優位にたって権力やお金で物事を解決しようとする様子。

ファニーにみえるが、実際深読みするとそうでもない。

社会の縮図に置き換えてみよう。
例えば先進国vs途上国、金持ちvs労働者階級、高度教育を受けた富裕層vs貧しくて教育を受けていない人々…などなど

ただそこに住んでいた人が、ある日、人間として当たり前の小さな権利を望む。
それが権力のあるものにとって少々不愉快な望みだった場合は権力者は力やお金で物事をどうにかしようとする。しかし隣人はお金が欲しいのではなく、太陽の光がわずかにほしいというだけなのだ。

(隣人の望みは一筋の太陽の明かりだ。人間としてそれは最低限必要なものだと思う。そこまで欲するのならば引っ越しをするとかそもそもそんな家を選んだ自分の責任だとか何故今までは平気で住んでいたのかなどと言ってしまえばそこまでだが、ただ、彼は「もともと住んでいた」だけだ。)

ひどい仕打ちにもめげずにどうにか友好的に話し合おうとしても話し合う事すら拒絶され、どうにか話し合っても嘘で誤魔化されてしまう。友情の証にと贈り物をしても煙たがられる。
相手の酷い言い訳も素直に受け入れて理解を示す隣人。
そして最後には強盗から娘と家政婦を助けるも打たれて瀕死状態へ。
最後に主人公はそれをみて、少し考えるのだ。これを見過ごして隣人が死ねば面倒事は消える….
救急車を呼ぶのをやめた主人公は無事、自分の望み通り窓を塞ぐ事、自分の望み通りにする事に成功する。

後味の悪い終わりだがこれと同じような事がどれだけたくさん起きているのだろう。

ブエノスアイレス出身の友人がアルゼンチンはとても貧しいのだと寂しそうに話していた様子を思い出す。
格差がそこまで大きくない日本社会では感じにくいかもしれないが見た人の過ごす国によっても受け取り方が違う気がした。

コルビュジエを舞台に隣人同士のバタバタという縮図に包んであるが裏テーマとしてこうした社会の問題を問いかけている映画だと思った。
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