かじドゥンドゥン

バッファロー’66のかじドゥンドゥンのレビュー・感想・評価

バッファロー’66(1998年製作の映画)
4.0
アメフトのリーグで「バッファロー」の優勝に大金を賭け、大ハズレ。無謀なギャンブルで首が回らなくなったビリーは、ある悪党の罪をかぶることで、どうにか胴元と話をつけた。

無実の罪を贖い、5年の刑期を終えて出所したビリーは、公衆電話から母に連絡するが、自分の境遇をひた隠しにし、さらには、自分が政府の重要なポストについていて妻もいると嘘をついてしまう。こうして自分の首を締めることになったビリーは、たまたま近くに居た女性レイラを強引に車へ連れ込むと、暴力で脅して、両親の前で自分の妻を演じるよう強要する。こうしてはじまった、奇妙な帰省と夫婦ごっこ。

ビリーは、終始無表情で神経質、そして計算高いようでいて、実は目の前の物事にすっかり気を取られる不器用な男。(その証拠に、オシッコがしたくなると、それですべての思考がふっとんで、トイレ探しに夢中になってしまう。)学生時代に思いを寄せていた女性にいまだ一方的に執着し、しかし強引に言い寄る勇気はなく、極度にシャイでもある。母の前で自分をよく見せたいというあまりに率直な思いをひたすら実現しようとした結果の、暴力的な言動。愚直であり、よく言えばナイーブな彼の本質を見抜いたレイラは、徐々に彼に惹かれ、彼との距離を詰めていく。

ムショの中で、実はバッファローの重要な試合で八百長が行われていた事実を掴んだビリーは、そこでわざとキックを失敗した選手に復讐を企てている。レイラにはコーヒーを買ってくると嘘をつき(レイラは彼の嘘を余裕で見抜いているわけだが)、小型拳銃をしのばせホテルを出て、件の選手が現在経営するストリップバーにやってきたビリー。彼の脳天に銃弾をぶちこんで自分も自殺する場面を想像するも、自分の帰りを信じて待っているレイラの姿が脳裡に浮かび、結局、復讐を諦めて踵を返し、約束通りココアとドーナツを買って、レイラの待つベッドに戻って来る。[完]

ときに画面の中から小さい画面が現われてきて、その中で吹き出しのように、登場人物の思念が描かれる。ビリーをしばりつける過去の回想が主に映し出されてきたその窓に、最後の最後は、ビリーとレイラの将来が描かれて、ビリーはようやく先を前向きに見通す能力を得た。未来を構想するこの力こそが、愛の条件なのか。