このレビューはネタバレを含みます
No.3426
『ロマンスとホラーは紙一重』
『2001年千代子の旅』
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最高です。
疾走感がたまりませんでした。
メビウスの輪を高速回転してるような疾走感です。
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あの『2001年宇宙の旅』に匹敵する、「究極の自分探しの旅」です。
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また、この映画のキーワードは睡蓮だと思ったので、
睡蓮についてちょっといろいろ調べてみましたら、睡蓮って、仏教では超重要なアイテムで、2つの特徴があるようです。
1.泥沼に咲く
美しき蓮の花は、濁った泥沼でこそ美しく開花する。
蓮の花は「人間性の開花」を、泥沼は「現実世界」のたとえです。
つまり、どこか遠いよその世界、架空の世界ではなく、
苦難や困難だらけの「現実世界」の中で闘い、揉まれてこそ、人間が人間らしく「開花」できることを教えています。
まさに劇中の千代子の人生そのままですね。
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2.花と実が同時に生る
一般的に、多くの植物は、花が先に咲き、その花が散ってから実が生るのに対し、
蓮は、花が咲くと同時に実も成長しています。
この場合、花は「原因」を、実は「結果」を表しています。
したがって、普通は、花が咲くという「原因」があってから、その「結果」として実が生るのに対し、
蓮は、「原因」と「結果」が同時に存在する、という不思議な現象が起こります。
これを仏教的に解釈すると、何かの祈りは「願う(=原因)と同時に、もうすでに叶っている(=結果)」ということを表しています。
『祈ったら、その時点で、叶っている』
なぜなら、原因と結果は同時に存在するのですから。
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この考えは、千代子のラストのセリフに通ずるのです。
「だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの」
あの人を追いかけ続けている私自身を好きであり続けたい、という、
"究極のエゴ"
「我思うゆえに我あり」
「願望=原因」がある限り、同時に、その願いはすでに叶っています。
いや、叶うことが決まっている、といった方がいいかもしれない。
自分のことが好きでい続けられるためには、一瞬の出会いでしかなく、よく顔も覚えていない「あの人」に対し、「好き」という感情を持ちさえすればいいのですから。
こうして、「あの人が好き」だから「そんな自分が好き」。
「そんな自分が好き」でいたいから「あの人が好き」。
いつしか原因が結果となり、結果がまた原因となる。無限ループです。
千代子はこうして宇宙空間をワープし、1000年前に戻って、また同じ人生を何度も何度も繰り返していくのでしょう。