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15歳のダイアリーのpippoのネタバレレビュー・内容・結末

15歳のダイアリー(2004年製作の映画)
1.9

このレビューはネタバレを含みます

子どもはいつでも手探りで大人の愛情を求めてる、そんなことを感じた作品でした。子どもだけでは世の中を渡ってゆくのは難しく親の愛情を見失えば、本能的にほかの大人の庇護を求めるものなのかもしれないですね。
この作品には、他人の感情を表情から読み取ることができないアスペルガー症候群の男の子が登場し、表情から相手の気持ちを読み取る練習をしているシーンがある。
一方で私たちは感情という化け物に日々翻弄され、怒ったり、悩んだり、悲しんだり、絶望したりもする。
ヒロインが落ち込み行き場を失った時に、アスペルガーの男の子がトランポリンを無表情のまま飛ぶシーンが挿し込まれることで、感情とは一体なんだろう?
なぜ私たちは感情という面倒くさいものと共に生きていくのだろう? という疑問が呈示され、感情というものがなければ私たちはこんなにも苦しまずに済むのかもしれないとさえ考えてしまう。そうして作品から私たちの抱える感情というものを考える機会を与えてもらえる。この時、もしかしたら感情なんてなくてもいいんじゃないか? とさえ感じた人もいたかもしれない。
なにを隠そう私自身はそう感じてしまった。アスペルガーの男の子は他人の感情を読み取ることが出来ないだけで、自分自身に感情がないわけではないだろうが、それでも他人の表情から相手の気持ちを推し量る必要もなく、自分も悲しみや怒りや苦しみなど、相手の言動などから一々心が揺り動かされる必要のない世界はどんなに楽だろうか、と感じたのだ。
しかし、この後のストーリ展開で、ヒロインは母親の愛情を確認し、安心感を取り戻す。その安心感も紛れもない感情であり、やはり感情という人間に与えられた一見面倒くさいものは、人と人をつなぐために、やはりなくてはならないものなんだということにあらためて気づかされる。
だからアスペルガー症候群の男の子に相手の表情から相手の気持ちをくみ取る練習を母親はやっていたんだ、そこには男の子により良い人生を送ってもらいたいという願いがこもっているんだ、という場面に心は戻っていき、あらためて人間のもつ心というものの素晴らしさ、愛とか愛情とかそんなところにまで答は行き着き、生きていることはなんてステキなことだろうか、だから自分の心も人の心も大切にして生きていこうね、というテーマにたどり着く。
心というものは常に自分と共にあり、あるのが当たり前で特に意識することもないまま日々暮らしていますが、この作品を通して、感情、心、愛といったものがどんなに特別なもので、かけがえのないものなのか、ということを感じました。
心を大切にして、生きていかなきゃな、とあらためて感じた作品でした。
とてもステキな作品でした。こちらの紹介文で見てみたいと思い立ちました。
ご紹介下さった方へ感謝の気持ちを込めて、ありがとうございました。
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