シリアスとコメディの場面が煮凝りみたいに乖離しているのは、香港映画ではよくあることだけれども、シリアスのパートの、抑々の事件のもつ禍々しさと、役者と演出の完成度の高さのために、とてつもない科学作用をもたらしたと推察される。
李Sirは今回も、例によって、髪の毛を颯爽となびかせて歩いているが、率直に言って得たいが知れないのである。
彼は毎回といっていいほど女を連れて現れるが、腐爛した人体のあるところへ能天気に女を連れて来る神経が、甚だ不気味である。こうした官憲の馬鹿騒ぎが、後半に及んで、突如拷問に変貌する。
これが生々しい効果をあげているのである。
このような人間たちが、普段は、なかよくはしゃいでおり、その辺りにいる人たちと何ら変わらないことに、うすら寒さを感じる。家族皆殺しの犯人の行為が、官憲による過剰なリンチに塗り潰されるかに見える。この両者のせめぎ合いこそが、作品の核なのである。
その一方で、この映画にはマグナム社おなじみの面々が多数出演している。李Sirを筆頭に、黄秋生、成奎安、黄柏文といった人たちである。気味の悪いことに、そういったホームドラマのような側面も、合わせ持っているのである。