Ayako

CUTのAyakoのネタバレレビュー・内容・結末

CUT(2011年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

インディペンテント系映画監督の修二に突然降りかかる兄の訃報。残されたのは、自分の映画制作費を賄うために兄がヤクザに借りていた巨額の借金。2週間という短い期限の中で借金返済のために、殴られ屋として、兄が命を落とした場所に無謀にも立ち続け、拳を受け続けるという狂気的な映画愛を昇華させた一本。

ナデリ監督と西島さんの真摯な映画愛が伝わって来る魂のこもった一本でした。愛する映画のために不器用でも、無様でも、真っ直ぐに向き合う修二の姿は二人の映画に対する想いの投影(現実世界ではここまでの行動は取れないけれど、このくらいの覚悟で映画を日々撮っているという想い)なのかなと感じました。

例えば、冒頭のアート系の映画が行き場を失いつつあることに危機感を覚え、街中での演説活動やアート系の名作品の上映会など、警察などに追われながらも精力的に行うシーン。もっとスマートなやり方がいくらでもありそうなものの、敢えての地道な活動を選んでいるのも、純粋な気持ちで映画に向き合いたいという気持ちを投影していたり、商業主義的な側面に対抗しているのかなと。

言わずもがな、借金返済のため、再び映画を撮るために拳を受け続けるシーン。正直、私はこの手の暴力的な描写は得意ではないものの、映画への想いを叫びながら自分を鼓舞しながら痛みに耐える修二の姿は圧巻で、特に最終日に名作映画100本でカウントしながら、100発殴られ続けるシーンは、お墓で黒澤監督に問い掛けるシーンと同様、往年の巨匠たちをリスペクトする気持ちや並々ならぬ映画愛を感じました。ラストは敢えて映像としては見せず、「カット」と力強く発する修二のセリフで終わっているのも清々しく、それまでの泥臭い血まみれのトーンとは良いコントラストを醸し出していて良かったです。

脇を固める助演陣も素晴らしく、修二の殴られ屋業を支えるヒロシ役の笹野さんと陽子役の常盤さんの姿が印象的でした。

見た後に考えさせられるのは、修二とはどんな映画監督なんだろうという純粋な疑問。アート作品をこよなく愛し、映画に対して狂気的なまでに愛を捧げるシネフィルで、過去に製作した3作品は、上映の機会も十分に与えられず、まだ監督として世間に認められていないという点は作中でも触れられているものの、どのような作品を作っていたのかなど、肝心の映画の中身に関する情報は一切明らかにされていません。それでも一つ言えることは、とんでもなく求心力のある人たらし的な人物というか、映画に真摯に向き合う彼の姿には人を惹きつける力があったのではないかということです。そもそも、真吾が巨額の借金を背負ってまで修二の映画の製作資金を調達するというのも、いくら実の弟のためとはいえ並大抵のことではないと思いますし、また、修二が殴られ屋稼業を始めた際にもヒロシさんと陽子さんという献身的にさせてくれる味方を見つけています。(余談にはなりますが、常盤さんの控えめだけれども出てくると観ているものが安心する絶対的な母性を感じさせる陽子さんはとっても素晴らしかったです!)また、映画談義仲間のナカミチも時に過激すぎる行動に出てしまう修二を敬遠せずに仲間としてい続けるところからも、只者ではない、修二の魅力が伝わってきます。関わると厄介ごとに巻き込まれそうなのに、それを承知で周囲が思わず味方についてしまう、そんな求心力のある人物なのかなとふと感じました。

商業主義的な側面に芸術としての側面が押されがちな昨今の映画業界。修二も劇中で言っている通りで、娯楽的な映画が悪いわけではなく、アート性の高い映画のための場がなくなりつつあり、映画が映画でなくなるというのは一種の危機であり、とても寂しいことだなぁと改めて思いました。全てを明確に語り切らず、観客に解釈を委ねるタイプの作品を観た後の心地よさ(脳みそフル回転した後の気持ちがいい疲労感)や、見た人同士ああでもない、こうでもないと語らう楽しさがもっと多くの人に伝わり、いろんなタイプの作品が日の目をみることのできる環境が整うことを切に祈ります。
(本当は、そういうアート系映画の楽しみ方みたいなものを作中に盛り込んでたらよかったのかもと思いつつ、そんな説教くさい野暮なことをしていないのがむしろ好ましかったり・・・)
Ayako

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