Jeffrey

鏡の中の女のJeffreyのレビュー・感想・評価

鏡の中の女(1975年製作の映画)
4.0
「鏡の中の女」

冒頭、女性精神科医のイェニー。自身の患者マリヤ、快復の見込みが無い、無力、強姦未遂、被害、精神のバランス崩壊、老女の幻覚、発作、トーマスとの出逢い。今、彼女が自殺未遂するまでの話と、その後の話がトラウマとして映し出される…本作はイングマール・ベルイマンがゴールデングローブ賞やアカデミー賞で監督賞と主演女優賞にノミネートされた1976年のスウェーデン映画で、赤を基調とした「叫びとささやき」に続く赤いベルイマンとも言われた後期作品の中でも、最も緊迫間に溢れた力作と評価されている1本である。

この度BD化され美しい映像で鑑賞したが傑作だった。この作品はテレビドラマシリーズの劇場版として日本でも公開されていたようだが、今回のバージョンはそれよりも17分長いロングバージョンとなっており、トータル上映時間137分である。だが、実際にスウェーデンのテレビ版は180分と、このロングバージョンよりも更に尺が長いのである。こちらも気になるものだ。原題は"顔を向き合って"と言う意味で「鏡の中にある如く」と同様に新約聖書のコリント書から引用されているようだ。


本作は、冒頭から静寂極まる水の描写で始まる。そしてゆっくりとフェイドインし、水の描写が透けて女性のクローズアップが浮き出てくる。そして彼女はサングラスをかけ、ヒールを履いた姿で殺風景な部屋を歩き、そこに1台の固定電話で誰かに話をする。どうやら引っ越しの準備が片付いたそうだ。続いて、彼女はその一戸建ての家から外に出る。カメラはロングショットで彼女が扉から外に止めてある1台の車に荷物を運ぶ描写を映す。

続いて、違う女性のクローズアップが写し出され、彼女は自分の指を口でなめている。どうやら精神が崩壊しているように見える。次に自分の唾液を乳輪に塗り始める。そこへ冒頭の女性(精神科医のイェニー)が現れ話をする。ここで、その精神バランスが崩壊している彼女(マリヤ)は、先生の患者と判明する。

続く、彼女は車でとある教会へ足を運ぶ。そして祖母と祖父がいる家に向かう。そこでは祖母が玄関を開け、彼女を歓迎する。そこで伯父さん(祖父)の頬に接吻するイェニーとのショット。祖母は昔の彼女の部屋へ案内する。祖母はイェニーがこの家にやってくることを楽しみにしていたそうだ。どうやら彼女はここに住み始める模様。そして用意してくれた食事を祖母と共に食べる彼女、そこで色々と世間話をする。

続く、彼女はベッドに横たわり眠る。このシーンでは時計の秒針の音を強調され、カメラが徐々にズームして、彼女の顔を寄りで撮影する。続く秒針の音が聞こえなくなり、静寂な空気の中、彼女の目の前に悪魔の目をした老婆が入り込む。それを見た彼女は恐怖のあまり叫ぶ(叫び声は無音)。そしてベッド脇にあるランプをつけ、無音だった演出から音の出る演出へと変わる。彼女は急いでローブを着て自分の部屋からリビングへ出て行く。

カメラは翌日の彼女が勤めている病院の事務所へと変わる。そこには上司と彼女の姿があり、パーティーの世間話をする。続いて、真っ赤な洋服を着た騒がしいおばさんの描写に変わり、彼女が一方的に彼女の話す自慢話を聞く。そこで1人の男性が彼女にお酒をおごり話をかけてくる。彼は彼女に食事の誘いをする。彼女は一旦は断る雰囲気を出すが、男性(トーマス)は8月中はここにいるので連絡をくれと言い、彼女はすぐに彼に、ではレストランにいきましょうと約束をする。

続いて、美しい街並みの描写に変わり、トーマスとイェニーははらぺこだから食事をしようといい、車に乗り古い家にたどり着く。ここはどうやら彼の邸宅らしい。そこでは数年前に妻と別れた彼の話を聞かされる彼女が、そろそろ帰るわとタクシーを呼んでと頼むも、彼はもう少しいてくれと懇願する。カメラはソファーに座った2人を真っ正面から捉える。そして彼女は半ば怒り染みた口調で私とセックスできると思わないで的な強気の発言をする。そしてトーマスは電話でタクシーを呼ぶ。

続いて、身支度をして家の外に出てタクシーに乗るイェニーとそれを見送るトーマス。彼が淋しげに邸宅に戻る描写、彼女が自宅の帰路に着く描写、静かに椅子に座り思いふける彼女の描写、不意に祖父が現れる描写、電話が鳴り、鐘の音が響く…。ここで時計をいじる病気の祖父の後から祖母が現れ2人は椅子に座り、老いていく恐ろしさを話す祖父が泣き始めるのをなだめる妻の描写がイェニーの視線から捉えられていく。そして手を引っ張り寝室に行く2人、続いて、娘の横にある電話が鳴り彼女がそれを取る。だが、相手は何も話さないようで彼女は電話を切る。


続いて、引っ越しが完了した前の家に行くイェニー。部屋の中に入り、2階に上がって行く。そこには倒れ込む患者のマリヤの姿がある。彼女はマリヤの手首を触り生きているか確認する。そして電話をかけて病院に連れて行こうとした途端にとある男性が現れ、彼女のその電話の行為を妨げる。そして上半身だけ裸の男が現れ(その男の相棒)、イェニーを強姦するも、硬くてダメだと言う。

そして2人は家から去り、彼女は救急車を呼ぶ。続いて、ピアノの演奏会らしき場所に参加しているイェニーの姿。車にトーマスと乗り、改めて彼の家に行く彼女。そして彼女はトーマスにマリヤがいる家に行ったら男2人がいて、私は強姦されそうになったのと告白する。そしてとち狂ったかのように泣き出し始めて暴れる。それを慰めようとトーマスが一生懸命になる。そして一旦落ち着いた彼女はソファーに座り、ランプをつけタクシーを呼んで欲しいと頼む。

そして翌朝、自宅のベッドで祖母に起こされるイェニー。カメラは鐘の音が鳴る日曜日の日常で汗をかきながら目覚めるイェニーを捉える。彼女はベッドから起き上がり、勢い良く顔を水で洗う。そしてコーヒーを注ぎ飲み始め、一瞬ラジオで音楽を聴く。そして電話をする。そうすると冒頭で現れた片目が真っ黒(悪魔の瞳のような)老婆が彼女を扉の隙間から見つめる。それに気づいた彼女は驚く。途端に音がなくなり、また静寂なシーンになる。

そこでまた黒電話が鳴り響くもイェニーは出ようとしない。彼女は静かに薬を水(お酒の可能性も)で飲むも、大量に飲み干してしまう。その動作を繰り返す。徐々に手に震えが起き、彼女はベッドに横たわる。そうすると鼻歌を歌い始め、壁を指で擦り始める。そして物語は中世ヨーロッパのような佇まいの別世界へと彼女を誘う。彼女は真っ赤な服を着て頭にも真っ赤な帽子をかぶる。そこにはあの老女の姿があり、イェニーはここは変な匂いがすると言う。

どうやら薬を飲んで夢の中に入ってしまったようだ。そして彼女はとある扉を開けようとすると姿がない第三者の男性の問いかけにより、その扉を開けない方がいいと伝えられる。彼女はその扉を開けて夢から目覚めると言うが、その得体の知れない男性は君はすでに〇〇であると言う。そこから話がより一層複雑になり、難解を極める。そして重要な事柄が多く出てくる為、これ以上は物語の要素を語らない。



さて、物語は閑静な住宅街とはかけ離れた自然に囲まれた一軒家から引っ越しをする女性精神科医のイェニー。自身の患者であるマリヤが回復する見込みがないことに無力を日々感じている。とある日、マリヤが居る家にやってくる彼女は、強姦未遂の被害に遭う。それをきっかけに彼女の精神バランスが徐々に崩壊して行き、よく見ていた老女の幻覚が彼女が自殺を図り眠った中の夢で登場してくるようになる。そこは中世ヨーロッパを彷仏とさせる建築物でいっぱいである。そうした中、彼女は自分の過去と対峙する過程を味わい始める…と簡単に説明するとこんな感じで、本作はTVシリーズで分裂、境界、薄明の地、帰還の4部で制作されたシリーズである。それを再編集した劇場版が1982年に日本でも公開され、この自分が見たBDはそれよりも17分長いものとなっている。


やはり、ベルイマンと長らく組んできたもはや世界に名の知れた大女優と言ってもいいリヴ・ウルマンの悪魔に憑依されたかのごとく崩れ落ちる迫真の演技は素晴らしいの一言である。この作品が1976年のものなのだから、それ以降の精神バランスが崩れていくホラー映画然りサスペンス映画はこの作品に多大な影響受けているのではないかと推測できる。

そしてやはりこの作品でも撮影を担当したスヴェン・ニクヴィストの完璧なフレームワークが素晴らしい。


倒れ込むマリヤを映し出した長回しのシークエンスで2つの部屋の壁の隙間から見せる演出は小津安二郎を彷彿とさせるし、後の侯孝賢作品にも登場場面を感じとれる。それと映画が80分を過ぎた頃に様々な患者に囲まれたイェニーが、患者の口からメッセージのタグを引っ張り出す場面のクローズアップや、顔の皮膚を剥ぎ取るグロテスクなシーンは印象深い。

あと、あの教会の中での棺に釘を打つシーンや真っ赤なドレスに身を包むリヴ・ウルマンの美しさとともに棺が大炎上するシーンは非常に魅力的である。というのも自分はものが燃えている描写がすごく映像的に好きなのである。そしてウルマンが発狂する場面ときたら、凄いの一言よ…。

だが、患者のトラウマに向き合っているうちに自分の幼い頃の過去のトラウマと向き合っていく彼女がなぜこの時期にトラウマが再燃したのかと言う理由が映像の中からは残念ながらくみ取ることができなかった(俺がバカなのかもしれないが)。

それでも、彼女の長ったらしい告白を聞いているうちに、どんどん画面に集中していってしまう。やはり2時間越えの映画なので多少退屈な部分も出てくるかもしれないが、この作品は普通に評価できる。こういったヒステリー女を見ていると普段はイライラしてしまうのだが、何故かウルマンの芝居ではそうならない。やはり彼女は素晴らしい女優なのかもしれない。



ところで、ベルイマンの父親は説教師だったらしく、厳格な父が暗い衣装部屋などでよく彼を閉じ込めたと言う話がある。実際、ベルイマンはその事柄により幻想の世界を抱いたり、幻覚を見ていたと話している。そういった彼の体験談をこの作品に導入しているんじゃないかと勝手ながら思った。

今思えば「秋のソナタ」の舞台になっていた牧師館もベルイマンの家庭自体が牧師館で生活していたとの話を聞くと、色々と自分の生い立ちを映画に導入しているなと思う。それは「沈黙」で小さい子供が人形を使って、人形劇を姉に見せるシーンがあるのだが、実際のベルイマンも妹の影響で自作自演の人形劇に熱中しているとの話もある。
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